瓦礫、瓦礫、レンガ、レンガ、瓦礫、レンガ、瓦礫、右手、瓦礫、レンガ、レンガ、瓦礫、右目、レンガ、瓦礫、瓦礫、右手、レンガ、レンガ、レンガ、瓦礫、右手、瓦礫、レンガ、右手、レンガ、瓦礫、瓦礫、右目、レンガ、瓦礫、右手、レンガ、瓦礫、右手、レゴ、レゴ、瓦礫、右目、レゴ、玉子、瓦礫、瓦礫、レンガ、瓦礫、玉子、レンガ、壁、壁、レゴ、瓦礫、右手、玉子、瓦礫、壁、レンガ、右手、壁、壁、瓦礫、玉子、瓦礫、冷凍シーフードミックス、濃厚カルボナーラソース、カントリーマアム徳用袋、エリンギのバタ
読書をしたんだスマホでね。でも字がちっちゃいから 中西なにやら氏の狭間の者たちへという、小説、TSUTAYAとかにたくさんあるやつ、棚に、それをタリーズとかで読むやつ、小説。 たくさんある本の中から本当のやつを抜いた後で残ってるやつ、の一部、絵がない方面の一群、それが小説。最近ではスマホでも読めるけど、わりとしっかりめのお値段払っても期間限定でしか読めない。私の家の棚には私が生まれる前の本がまだちゃんとあるのに。 保険の代理店の店長が主役だったと思う。あまり成績はよくなく
チチチチチチチチチチチチ ハハハハハハハハハハハハハハハハハ フボッ フボッ フボッ フィリピンに行ったまま帰ってこない父が 定期的に送ってくるアットホームげな 児童ポルノ画像はまるで産まれることの なかった孫を追悼しているかのようだった? そしてその仕返しに私が送り返す経血まみれ の和式便器の画像は父と私の微妙な距離感を 表しているようだった?とある7月土曜の 昼下がり、ミニ四駆盛り上がる大会中の 公共施設の空き部屋で外だしミスった 寝バックがそもそもお前の発端だと ろ
たとえばみんな全裸を持ち歩いている、と いう事実、みんな全裸に服だけ着て歩いてい る、という事実、それをな思うだけで、私は それだけでもう、な!という、分かるだろ! みたいな、パーティーの幕開けを予感させ る、律動が、なにぶんせっかちな私自身を、 それはもう、実体の存在!実体の存在!ああ もうみるみると、育っては盛り、盛っては育 ち、何度でもすくすくと、健やかな性欲はサ イダーのように弾け、いやいや!まだ弾けて はダメでして、まだ勿体ない、夜まで保たな い。引力では殺せない
意味を求めて鳩が集う公園に処されるモザイ ク。もうじき昼が鳴る。知人が迷路を諦め る。その報せを受ける。私はガーターベルト の端を持ち、立ち往生する夢を見る。シンセ サイザーを担いだ万引き犯が駆ける。追いつ けない店員の腰痛。階段にばら撒かれた豚小 間。それを充分に加熱するには弱すぎる秋の 日射し。二重窓を二回割って侵入する空き巣 が着ていた中学時代のジャージ。林田ろひ子 の、サイン波に似た人生グラフが上下するた びに現れては消える温うどん上の掻き揚げ。 イコールがイコールで
人の鳴き声が通過する左耳と右耳の間に 私を私たらしめる白子状の生きた脳みそが あり、だから保険に入っておけば良かった のに、とか思うのでしょうか。痩せすぎた モデルを挿入するために製薬会社と地元の 銀行がプロデュースした大きな竹輪が4、 5本転がっていて寂しい無人駅に救済の鴉 が因果の数だけ集います。平和と繁栄を願 う太めの棒には、床から飛び出し何も知ら ない通行人をけつまずかせる強さが必要で すが、すべての棒がそう出来るわけではあ りません。毛羽立つ束の花びらを季節のグ
やまいだれの点々のところがいい具合にキミのヴァギナを刺激していて私はもううっかり死にたいとか言えなくなる。助けてくれたら財布をやるよ。私は電話を持っていない。
サッカリンの花が咲いては枯れる。枯れては咲いて、異臭を散らかす。私が読む台本に、私の台詞はない。蓋をしていた未来が、知らぬ間に底のひび割れから全部、流れ出てしまって、いたような、そんな今を暮らしている。百円ショップで買ったバーベキュー味の少し固い、とても安い肉を齧りながら、ふとしていたい、と思う。ふとして、ふとして、ふとして、死ぬ。それくらいが良いと、思っている。ここは春を義務づけられた庭。スケッチブックに書く遺書はわざとらしいほどに自虐的で、これなら台風の進路でも見ていたほ
8割セピアな思い出をえぐり出しねぶっては慰めるセルフィーの累々(るいるい)に流し込まれる大量の小銭に似たスカイフィッシュの釘玩具。頭が割れたら綿あめ詰めてよしっとり濡れるわコンディショナー全然尽きない私欲の灯火(ともしび)犬みたいに咥える紙片に書かれた携帯番号は不通ありきたりなアドバイスだけが今日も中空を行ったりきたりで世界は平和にならないね故人の恨みは晴れないねチャカ持って宣誓する正義の最中に名古屋ドーム2杯分の半熟魚卵とトマトソースが懺悔によく合う雨のように必要分だけ降り
ハワー!いきいき生きててねえ!死んだってどうしようもないでしょう!だくだくのつゆだくでハワー!ちょっとだけ環境に厳しくしようか。時にはね。飴とムチとガイガーカウンターを使い分けてね。広末涼子と高島彩の区別が付かなくったってね。最近ちょっと太り気味だし首の付け根にしこりみたいのあるし動画の再生数も2桁にならないしフランス人形に芽生えた自我が僕の尊厳を気持ちいいほど踏みにじるしハンドメイド販売サイトで買った人毛編み込みカーディガンのぬくもりも思ってたより全然だし寂しいと死んじゃう
疲れてくると本能が「やばい死ぬ前に子孫残さなきゃ」と、「タクシー呼ばなきゃ」みたいな感じで発動し、性欲が目を覚まします。いや別にずっと起きてたけど。性欲が眠っていたのなんて小6くらいまでだけど。しかしみんな授業で習ったと思うけれど、子孫は1人では残せません。ただいきり立つ一本がどれだけ逞(たくま)しくとも、雄々しくとも、または異彩を放っていようとも、ダメなのです。それはタップダンスではなく、社交ダンスなのですから。ペアを。ペアーを。ペアーズでペアーを作りデニーズで飯を食わない
むしろ創作しないで創作論語ってばかりだよねって話。よくある話。無料のノート。これは無料の記事です。金目鯛の煮付けより、サマンサタバサのポーチより、ミックスナッツの固いアレより、遥かに安い、無料のノートです。貴方はこれを読むことが出来ます。可能です。貴方には出来ます。出来ることをやりなさい。置かれた場所で咲きなさい。辛くなったら逃げなさい。天地神明に誓いなさい。病めるときも、健やかなるときも、どんなときも、どんなときも、僕が僕らしく、キミはキミらしく、夜風は夜風らしく、コンドル
そろそろ物語シリーズの新刊出てるかしら、と調べたら出てたから電子で読んだ。 小説の中もコロナ禍だった。あらあらこれは賛否両論、と、私はどちらかというと否の方から思った。現実逃避の先に現実を見せつけられた気分になるから。私の読書は、私の関係ないところで実在しない誰かが頑張ったり夢破れたり卑猥なことをしたりもんどりうったりするのを眺めるための、きわめて無責任な時間なのだ。それなのにあぁ西尾ったら。アクリル板だの手洗いうがいだの見飽きた言葉をわんさか並べてしまって。なんだか僕は啓
Twitterで見た漫画で、嘘、Togetterで見た漫画、フェミニズム的な漫画の中で、男が「性交したいな、彼女欲しいな」と言っているのを「これは女のモノ化です!よくない!」と言っていた。が、私は「モノだったら既に持ってきてるわ!」と思った。漫画や小説の中の女キャラクターのような語尾で、「持ってきてるわ!」と思った。「性交したいな、彼女欲しいな」と思っても、その夢が叶わないのは、女はモノでないと男が認識しているからか、重くて持ってくるのが難儀だからだ。そもそも「モノ化」とはな
昭和に書かれたエッセイの中で「タブーの無い世界こそが良い世界」的なことを書いていた。そうして今の世を見ると、むしろ昔よりタブーは増えていないか?と思ったけれどすぐに、そんなこともないのでは?と思った。そして、じゃあ良かったじゃん、と思って安心したのだった。 私たちの思考は容易に変更される。生理的嫌悪感でさえ物量に慣らされたりする。私たちは善い人であろうとする。私たちはあらかじめ辞書から消す。私たちは知らない感情を持てない。私たちは理解し合える。私たちは「理解し合える」という
投げやりな気持ちになることがよくある。自己肯定力がそれほど強くないので。人生において重要な選択をするときほど、ちゃんと考えなければならないので、考え、悩み、行き詰まり、結果的に投げやりになる。そうして進学、就職などの機会に点々と投げやってきた過去の私を線で繋ぐと、今の私にたどり着く。つまり順当な結果。 投げやりになるのは良くない。なぜなら、多くの人が歌っているが、人は自分の身体からは逃げられないからだ。投げやりになって、粗雑に扱っても、使い捨て出来ない。自ら命を絶つことで捨