タグラグビーから得た学び -生活やビジネスのヒント-④リーダーシップについて

【いいチームは人を巻き込む】
OBやOGと試合をしてトップチームをうまくするというのは大切だが、小学生では身体能力で中高生には勝てない。また中高生も身体能力が上がり、自分のやりたいようにやってしまう。こうなるといいプレーをしても身体能力で阻まれる(小学生では絶対得点になる、守れるいいプレーが成立しないこと)こともあるし、成功なのか失敗なのかがぼやける。個人的にはやっても「OB3人、BチームやAチームの控え2人」対「Aチーム」が最もうまくなると思っている。上手い人に混ざることで学びがあるからだ。また、控えも試合に参加できる。そしてレベルが上がれば試合の中でも活躍できるし、練習の質も上がる。来年にもつながる。これはいいことしかないが意外と使えていないチームも多い。OBやOGが積極的に来てくれるチームは人材という資源に恵まれている。それは監督の教えがよかったのかもしれないし、チームの居心地がいいのだ。だからこそ、その人材を上手く巻き込む力、リーダーシップが求められるのである。

となれば、チームを作るという行為は「人を巻き込む」とも言い換えられると思う。何かをお願いしたくて人に相談することや教わることも、目的が共有されればそれはチームだ。世界的な有名企業では、「リーダーシップ」について、「リーダーシップとは、人に主体的に働きかける力なので新卒からリーダーシップを発揮するように」と教育されるそうだ。つまり、立場がある人が指示を的確に出すということだけではなく、「わからないことを聞く」ことや「やりたいことに上司や先生・コーチの力を借りる」こともリーダーシップなのである。立場関係なく人に働きかけることが出来れば多くの視点や考えを持つことによって、方向性を見失わずチームは前に進めるのだ。これを監督だけでなく、みんなでやれるとチームはより発展していく。主体的な働きかけは自分のためだけれども、一人一人が成長することがチームの成長につながるのだ。だからこそ、チームには多くの人がいた方が成長できる。

つまりチームの成長は「チームに関係する人が主体的に行動し働きかける力をもつこと」である。
その為に必要なこととは「チームにおける自分の役割を明確にする」なのではないだろうか。
そう考えるきっかけについて少し経験を話させてもらいたい。
【一人はみんなのために、みんなは一人のためのチーム】
これは大学2年時のセカンドチームを担当したチームの話である。
この年は団体のトップの交代やコロナなどが重なり、選手選考のプロセス整備や帯同コーチの割り振りが遅れ、さらには練習時間も確保できないという異例の年であった。
その影響も重なり、この年はトップチームから最上級生の6年生が多く漏れてしまった。
彼らはみな何らかの問題で実力が発揮できず、選手選考から漏れていたが、一人一人に個性があった。
例えば、「素晴らしい身体能力があるが思考することが苦手な選手」や「考えることやチームワークを大切にできるが、勝利への意欲が薄い選手」など…
選手の得意不得意がはっきりしていたので、私は「誰かの得意で誰かの苦手を補う」チーム作りをしようと考えた。それがこの子たちの力を最も発揮でき、楽しくタグラグビーに取り組めるのではないかと考えたからだ。

そのためにまず、チーム作りとして「チームメンバーの個性を共有する」ことから始めた。
ノートにメンバーのいいところを書いてくるように伝えたのだ。(これは以降毎年最初にやることである)
この結果、「得点力のあるエース選手が点を取り、考えることが得意なメンバーがそのサポートをする」というチームの戦い方がメンバーで共有された。まさに「一人はみんなのために得点する、みんなは一人のためにプレーをする」チームである。

エースは自分が点を取るという役割を自覚し、ボールの位置取りや勝負する場面でパスに逃げないことや持ち前の走力の活かし方を1年で学び、試合で発揮した。
それ以外のメンバーはエースが「いかに力を発揮できるか」を考え、自身の得意なことや仲間の得意なことと組み合わせ、「エースのために」協力する役割だという形が自然と共有されたのだ。
このように自身の役割が明確化されることこそが自主的に行動を促すことが出来たのではないかと思っている。

【まとめ】
現代では「みんながエースだ」という社会通念が普及し、先のようなチームは古いといわれるかもしれないが、この話の要点は、「みんなが得意なところを活かして、チームのために自身の役割を自覚し取り組む」ことである。少なくとも、このチームでは「○○の部分では自分がエースだ」とそれぞれが感じた結果、自分の得意な領域で主体的に練習や試合をこなすことが出来ていたということだ。苦手がだれかによって補われ、自分の得意で誰かの苦手を補っていた。チームワークとはそういうことではないだろうか。みんなが少しずつ誰かのために我慢をするようなことは本質的には「チームのために犠牲」になり、個人の損失(全力が出せていない状態)だ。だが、「チームのために個性を生かす」ことは個人にとって損失ではなく、むしろ貢献(全力が出せている状態)だ。犠牲と貢献は全力がどうかともいえるだろう。チームに貢献することこそがいいチームなのだと思っている。

また、チームの中で自身の役割が決まれば、練習の意味や何をするのかといった部分で悩まない。そうなると練習の目的意識、時間の使い方、取り組み方が一貫し、自主的に取り組むことが可能になる。
以上から「いいチームとは、自分の役割が明確に決まり、全員が主体的に活動し貢献するチームのこと」なのだと思うのである。

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