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アメリカ:EWTNがシュリーブポートの殉教者に関するドキュメンタリー『5人の司祭』を放送

USA: EWTN station broadcast the documentary "Five Priests" about the martyrs of Shreveport

米国のカトリックテレビ局EWTNは10月8日、『シュリーブポートの殉教者』として知られるフランス生まれの5人の神父についての長編ドキュメンタリーを上映した。この映画は、1873年にルイジアナ州シュリーブポート(Shreveport, Louisiana)で壊滅的な黄熱病が大流行した際、病人のために命を捧げた神父たちの物語で、現在列福の手続きが進められている。この映画はすでに様々な映画祭で賞を受賞しており、2021年のカンヌ国際映画祭でも注目され上映された。

ローマ教皇庁の聖人に関する機関(Dicastery for the Causes of Saints)は、イシドール・ケメレ司祭( Isidore Quémerais1847年生まれ)、ジャン・ピエール司祭(Jean Pierre、1831年生まれ)、ジャン・マリー・バイラー司祭(Jean-Marie Biler、1839年生まれ)、ルイ・ジェルゴー司祭(Louis Gergaud、1832年生まれ)、フランソワ・ル・ヴェズエ司祭(François Le Vézouët、1823年生まれ)5人を一つの列聖として考えることを許可した。ルイジアナ州北部のシュリーブポート教区(1986年まではナチトチェス教区)では、彼らは常に『シュリーブポートの殉教者』として知られ、総称されてきた。この黄熱病は、1873年8月下旬から11月中旬まで続き、アメリカ史上3番目に多い犠牲者、約1,200人の命を奪った。5人の神父たちは、その年の9月15日から10月8日の間に死亡した。

『The Five Priests』の筋書きは、ピーター・マンガム神父(Peter Mangum)、W・ライアン・スミス(W. Ryan Smith)、シェリル・ホワイト(Cheryl White)の共著『Shreveport Martyrs of 1873: The Surest Path to Heaven』に基づいている。3人ともコメンテーターとしてスクリーンに登場し、感動的な物語を語り、さまざまなドキュメンタリーシーンやアニメーションがこの『5人の司祭』の英雄的な行為を描き出す。映画は、当時の膨大な記録や手紙から詳細を提供し、司祭自身や地元の人々の言葉や描写を使用している。

また、アメリカ教皇大使のクリストフ・ピエール(Christophe Pierre)枢機卿、フランシス・マローン(Francis Malone)シュリーブポート司教、エイドリアン・パーキンス(Adrian Perkins)シュリーブポート市長も、殉教司祭とその活動についてそれぞれの見識を語った。

この映画は5人の神父の人生を描くだけでなく、レッドリバー(アチャファラヤ川とミシシッピ川流域)沿いの町シュリーブポートの発展も描いている。また、当初は黄熱病流行の原因と考えられていたものについても描かれている。語り手は一人ずつ、当時人口4,500人で、川に近いビジネス街に人口が密集していた町の物理的な生活状況と、彼らの生活の不衛生な状況を語る。この序盤のシーンに始まり、映画全体を通して、アニメーションはシンプルで様式化されている。映画の手法は、これが実話であることを観客にさりげなく思い起こさせる。

地元住民に奉仕するため、オーギュスト・マリー・マルタン司教(Auguste Marie Martin1803-75)は司祭を募集するためにフランスのブルターニュに赴いた。彼は8人の司祭と神学生を連れて帰ってきた。「フランスから来た司祭たちは、失うものは何もなかった。彼らはすでに、事実上すべてを捨てていたのである」と、クリストフ・ピエール枢機卿は、彼らに捧げられた本の序文で書いている。
カトリックこの5人の神父たちは、自分たちも黄熱病に感染して死ぬ可能性が高いことを知りながら、安全な場所を離れた。彼らは、シュリーブポートの人々、おもに貧しい移民やアフリカ系アメリカ人、裕福な隣人のように安全な地域に行く余裕のない人々から離れたくなかったのだ。

ストーリーが展開するにつれ、肉体的、精神的なドラマを描写しようとするナレーターたちの熱意のおかげで、ドキュメンタリーは勢いを増していく。各人が新たな詳細を加え、新たな洞察を提供する。映画のようなアニメーションの手法を使って、ストーリーの各パートは色鮮やかに『洗練』されている。

物語のドラマ性、そして5人の愛の殉教者たちの英雄的行為への支持は、地元紙『シュリーブポート・タイムズ』のページなど、小さいながらも、この破壊的な病気で亡くなった人々の名前と年齢が書かれた折り込みチラシによって補完されている。

「彼らは誰であろうと、それは問題ではなかった。みんなの為にそこにいた。(中略)病気の感染についての知識が不十分だったため、安全のための特別な予防措置はとらなかった。病人の家に入るとき、司祭たちはためらうことなく手を握り、顔を触った」。『シュリーブポートの殉教者たち』に関する本の著者である歴史家のシェリル・ホワイトは、「このように苦しんでいる人に物理的に寄り添うことは、私たちが人間として召されていることだけでなく、キリストに倣うこととして、心の奥底に語りかけるものだ」と強調した。そして彼女は感動的な結論として、こう付け加えた。「この5人の司祭は、多くの人々が逃げることを選んだ時代に、慰めと希望、そして人間の基本的な尊厳への答えを体現した。このことは、困難な状況に直面したときはいつでも、私たちには選択肢があることを私たち全員に思い出させてくれる。そしてこの5人は、自ら進んで命を犠牲にする決断をした」。

続いて、セント・ジョン・バークマンズ大聖堂(the Cathedral of St. John Berchmans) の院長であり、列福プロセスにおける司教の代理人であるピーター・マンガム(Peter Mangum)神父は、「彼らの犠牲は、他者のために自らをささげたイエス・キリストの愛と関係している。彼らは喜びと希望をもってそれを行う。彼らはこのようにして、神を讃え、天国で神と共にある新しい永遠の命を証している」。

Shreveport/Fr. jj

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