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アメリカ:エセル・ケネディ──ロバート・F・ケネディの未亡人、敬虔なカトリック信者
写真:エセル・ケネディは、2009年3月27日、ワシントンD.C.のジョージ・ワシントン大学で開かれたエリック・ホルダー米国司法長官の就任式典に出席した。 写真:Chip Somodevilla/Getty Images
USA: Ethel Kennedy - widow of Robert F. Kennedy and a devout Catholic
暗殺されたロバート・F・ケネディ上院議員(Robert F. Kennedy)の妻で、著名な社会活動家であったエセル・ケネディ(Ethel Kennedy)が10月10日、96歳で死去したと家族が発表した。先週発症した脳卒中の合併症により、木曜日の朝に眠るように息を引き取った。
「彼女は敬虔なカトリック教徒で、毎日聖体拝領をしていた。私たちは、彼女が生涯の伴侶である父ロバート・F・ケネディとその子供たち、デイビッドとマイケルに再会したことを知り、慰められている。私たちは愛に満ちた心で、素晴らしい祖母エセル・ケネディの逝去を、お知らせする。先週の脳卒中の合併症により、今朝亡くなった」とX(旧ツイッター)に、孫のジョセフ・ケネディ3世(Joseph Kennedy III)が、声明文を掲載した。
彼女の深い信仰心とカトリック教会との結びつきは、10月11日付のニューヨーク・タイムズ紙などでも取り上げられ、彼女に捧げられた回顧録で紹介された。
エセル・スケーケル(Ethel Skakel)は1928年4月11日、裕福なプロテスタントの石炭王ジョージ・スケーケル(George Skakel)とその妻で信仰深いカトリックのアン・ブラナック・スケーケル(Ann Brannack Skakel)の娘として生まれた。彼女の両親は1955年に飛行機事故で悲劇的な死を遂げた。
エセルは17歳だった1945年、カナダのスキーリゾートで、後に夫となるロバート・F・ケネディと出会った。二人は1950年6月、コネチカット州グリニッジのセントメアリーカトリック教会(St. Mary Catholic Church in Greenwich, Connecticut)で結婚した。
政治に強い関心を持つこの女性は、夫のキャリアを熱心に支え、義弟ジョン・F・ケネディ(John F. Kennedy)の大統領選挙キャンペーンを支えた。夫のロバートは1964年、ニューヨーク州選出の上院議員に当選。1968年6月6日、カリフォルニア州とサウスダコタ州の大統領予備選で勝利したと発表されてから24時間も経たないうちに銃撃された。
エセル・ケネディは、夫が亡くなったときそばにいたが、6ヵ月後に11人目の、そして最後の子供を出産した。この悲劇の直後、彼女はロバート・F・ケネディ人権センター(the RFK Human Rights center)を設立し、この分野とジャーナリズムにおける彼の仕事の継続に尽力した。同センターは彼女の死後、声明を発表し、人権活動家としての豊かな業績と、夫を失い苦しみながらも生涯持ち続けた忍耐力と強さを強調した。「彼女は、ひとりで11人の子供たちを育て上げ、すべての子供たちに確固たる信仰心、共感、熱意、そして何よりも勇気を植え付けた」。
彼女は再婚することなく、前述のセンターとニューヨーク・ブルックリンの地域開発団体『ベッドフォード・スタイヴェサント・リストレーション・プロジェクト(the Bedford Stuyvesant Restoration Project)』を通じて、残りの長い人生を公共奉仕に捧げた。大統領自由勲章(the Presidential Medal of Freedom)受章。
エセル・ケネディは、2024年の大統領候補ロバート・F・ケネディ・ジュニア(Robert F. Kennedy Jr.)を含む11人の子供のうち9人、34人の孫、24人のひ孫、数人の甥姪を残して、この世を去った。
New York/ Fr. jj