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アメリカ:アンティオキア地震で~キリスト教史研究者・考古学者

USA: Christian history researcher and archaeologist on Antioch earthquake
写真(Image: Illustration by Mallory Rentsch / Source Images: AP Images / WikiMedia Commons)

今年2月6日にトルコ南東部とシリア北西部を襲った地震は、アンタキヤ、すなわち古代トルコの都市アンティオキアのキリスト教遺跡を数多く破壊した。テネシー大学のキリスト教史教授で考古学者のクリスティン・シェパードソンは、ウェブサイト『The Conversation』で、この件に関する広範な記事を寄稿した。彼女はまた、トルコとシリアの国境に近いこの都市で、以前に起きた地震に関するいくつかのキリスト教文書を引用し、使徒言行録(11・26)によれば、「イエスの最初の弟子たちがクリスチャンと呼ばれた」場所であることを明らかにした。

現在のトルコ領アンタキヤ、かつてのローマ、ギリシャ、キリスト教に於けるアンティオキアは、過去にキリスト教、イスラム教、さらにはペルシャやフランスの支配下に置かれ、幾度となくその姿を変えてきた。ローマ帝国の皇帝や高官たちは、温暖な気候と温泉、美しい地中海の景色を好み、休暇にアンティオキアを訪れた。3世紀から4世紀にかけては、キリスト教文化の重要な中心地となり、とりわけ聖ヨハネ・クリュソストム(黄金の口、347-407)が生まれ、活躍した。4世紀末、この街は大地震に見舞われ、現在の地震と同じように、ほとんどの建物が倒壊してしまった。その時、聖人は住民に向けた説教で、終末論的なテーマにまで踏み込んでいる。「今、あなた方は眠れぬ夜に苦しみ、すべての財産は灰と化した...そして、一瞬、あなた方は、人間ではなく天使になったかのようだ」。

アンティオキアでは、さらに早い115年にも大地震があった。カッシウス・ディオ(155-235)は『ローマ史』の中でこう書いている。「大地が揺れ、建物全体が跳ね上がった」。一方、キリスト教史家ジョン・マララス(491-578)は『クロノグラフィア』の中で、526年に起きた同様の激震を次のように描写している。「恐ろしい火事が起こり、壊滅的な破壊をもたらした。その結果、地表は沸騰し、最終的にすべてを焼き尽くした」。

アメリカ人教授は、2006年、2008年、2010年と3回にわたって、アンタキヤ/アンティオキアで考古学調査を行い、『5世紀のアンティオキアにおける政治的・宗教的論争』という本を出版した。かつて、現在のメインストリートであるクルトゥルシュ通りは、ローマ人によって造られ、現在、破壊されているハビビ・ネッカー・モスク(Habib'i Neccar Mosque)は、キリスト教会だった。一方、オロンテス川に隣接する山々は、キリスト教の修道士や神秘主義者たちの『世俗からの避難所』であった。そこには、聖ペテロ洞窟教会もある。

著者は、この町が幾多の災害にもかかわらず、常に瓦礫の中から立ち上がる強さを持っていることを称賛した。526年、キリスト教史家のマララスが「地震のとき、ある母親が建物の瓦礫の下で女の子を産んだ。二人とも助かった」と書いている。

今年2月6日にも、同じような象徴的な出来事があり、母親がアンタキヤで崩壊した家の瓦礫の下で、女の子を産んだ。この女の子は、アラビア語で『神のしるし』を意味する『アヤ』と名付けられた。「今回の地震でのアンタキヤ/アンティオキアの破壊の規模は恐ろしいものだが、これまで何度も、そこで起こったように、この都市の歴史は変遷と再生の歴史であり、私はこの残骸の中に希望があると信じている。今また、瓦礫の中から立ち上がることを願っている」とクリスティン・シェパードソンは述べた。

Fr. jj (KAI Tokyo) / Antakya
カトリック通信社
ISSN 1426-1413; 発行日:2023年2月25日
出版者: KAI; 編集長: Marcin Przeciszewski


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