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アメリカ:DJカルーソ監督、新作『マリア』について
USA: director DJ Caruso on his new film "Maria"
この映画を通して、特に若い人たちに「ああ、彼女は私の身近な人だ」と叫んで欲しいと語るのは、12月6日にネットフリックスで公開される、聖母の生涯に捧げられた映画『マリア』の監督、ダニエル・ジョン・カルーソ(DJ/Daniel John Caruso)である。カトリックのメディアとの最近のインタビューで、彼はとりわけ、「聖母マリアの幼少期から聖家族のエジプト逃亡までを描いたこの新しい聖書の叙事詩は、私と俳優をバチカンに招待した教皇フランシスコも興味がある」と説明した。
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カトリック信徒のダニエル・ジョン・カルーソは1965年コネチカット州ノーウォーク(Norwalk, Connecticut)生まれ。カリフォルニアの大学で学び、その後、監督、プロデューサー、脚本家として映画界に入った。スリラーやアクション映画で知られる。キャリアの初期には、スティーブン・スピルバーグ(Steven Spielberg)に雇われ、スリラー映画『ディスタービア(Disturbia)』(2007)と『イーグル・アイ(Eagle Eye)』(2008)を監督。
非常に難しいテーマであるマリアについての映画を作ろうと決めた理由を尋ねられると、監督はこう答えた。「私はこの物語を伝えたいという強い意志があった。マリアの物語は過小評価されていると感じた。私たちはみなキリスト降誕の物語を知っているが、彼女の視点からこの物語を伝えるというアイデアにとても心を動かされた。マリアの立場になって、幼少期からキリストの誕生、そしてその後まで、このすべてを経験するのはどんな感じだったか、この若い女性は逆境に直面し、疑いや恐れを抱きながらも、最終的にはこの美しい『フィアット(fiat)』、つまり神からの恩寵を受け入れた」。
監督は、特に若い視聴者に「ああ、マリアと私は友達になれる」と言わせたかったと認めた。そして、「マリアが経験したことの多くは、今日でも通用するものであり、世界で起きていることに当てはまる」と述べた。カルーソによれば、マリアは「象徴的で、美しく、聖なる母であり、私たち皆が崇敬しているが、同時に若い女性でもあった。彼女はその中で決断を下し、前に進まなければならなかった」。メディアのインタビューに答えた彼は、「マリアが人間的であり、人々に受け入れられ、愛されるような存在であって欲しい」と願っていたと告白した。
彼はさらに、マリアへの献身を強調した。「私はカトリック信徒だ。コネチカット州ノーウォークでカトリックの信仰を受けながら育ち、生涯カトリックを貫き、今でも教会との深いつながりを感じている」。彼と家族5人は『熱心なカトリック信徒の家族』であり、子供たちはカトリックの学校に通っていると述べた。「私たちはマリア様に祈ることが大好きで、マリア様を執り成し手として受け入れている。それは私たち家族の本質であり、私たちの信仰の中心だ。だからこそ、私は彼女を称える映画を作りたかった」と監督は付け加えた。
カルーソは、どのようにしてマリアを描くことにしたのかと尋ねられると、メル・ギブソンの『パッション(The Passion of the Christ)』に言及した。彼は、メル・ギブソン(Mel Gibson)が『パッション』で行ったことをいつも賞賛していたと認めた。というのも、「明らかにキリストとその痛み、そして彼が経験したすべてのことを人間らしく描いていた」からだ。そして「物語は実際にはマリアから始まる」と付け加えた。「魅力的でありながら人間的で親しみやすく、人生において、とても重要な物語をどうしたら伝えられるだろうか」と彼は語った。
そのなかで、マリアを彼の人生にもたらすことに重要な役割を果たした 親友であるロサンゼルスの故デビッド・オコネル司教(David O'Connell 1953-2023年)の存在にふれた。「彼はいつも私たちに言った。彼女はあなたとともにいる。彼女に話しかけるだけでいい。彼女はキリストとつながっている。そして、もしあなたがこの道を歩むなら、良いことしか起きない」。この5年間、このことを教え込まれたので、その良いことを何らかの形で祝いたかった」と監督は振り返った。
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ヘロデ王役のアンソニー・ホプキンス(Anthony Hopkins)に加え、比較的無名のノア・コーエン(Noa Cohen)とイド・タコ( Ido Tako)が出演している。マリアとヨセフが生まれた地域から2人の新人を招き、主役に起用して世界に紹介できたのは素晴らしいことだ。これは斬新な試みであり、観客はおそらく、一般的に知られている映画スターたちよりも彼らを受け入れ、評価することだろう」。
この映画のエキュメニカルな側面について、映画監督は、自分が力強いカトリックの環境に由来していることを心に留めた。同時に、彼は、常に物議を醸すであろうことは認めつつも、マリアを愛する誰にとっても(ユダヤ教徒やイスラム教徒を含めて)、またマリアを受け入れ、崇敬することができる誰にとっても、マリアが身近な存在であることを望んでいると述べた。「明らかに、私たちは他の人々とは違う方法でマリアを崇敬している」と彼は明確に付け加えた。
「だからこそ、私はただ一つの視点に閉じこもりたくなかった。なぜなら、この映画は、この若く素晴らしい少女マリアに敬意を表し、彼女を人間らしく描かなければならないからだ」と断言した。同時に、彼は聖書にこだわった。「私たちがなすべきことの基礎として、ヤコブの福音書、そして最後にヘロデについて多くのことを語っている歴史家ヨセフス・フラウィウス(Josephus Flavius)に注目した」。そのため、これらの資料も使って、特別な物語が作られた。「しかし、敬意を表し、すべてを正しく行うことを確認したかった。正しく行うことはとても重要だった。私たちは、マリアが信者にも、そうでない人にも、誰にでも親しみやすい存在であることを望んでいた」とDJカルーソは強調した。
彼は、この映画で若い俳優が演じている聖ヨセフについて触れ、「若い視聴者でも、マリアとヨセフが若者であることがわかり、それは彼らにとって刺激的なことだ。だから、老人がマリアをロバに乗せて、父親のように守っているのではない」と述べた。
また、彼を助けてくれた親友のデビッド・オコンネル司教が、具体的に「DJ、ヨセフに声を与えて欲しい」と要望したことに触れた。「ヨセフは福音書の中では過小評価されている人物で、何も語らないのであまり評価されていない。彼が経験しなければならなかったこと、反対しなければならなかったこと、群衆と戦わなければならなかったこと、正しいことを理解し実行しなければならなかったことを考えて欲しい。群衆に立ち向かい、『この女に石を投げるな』と言った彼の勇敢さを考えて欲しい。これは21世紀の子供たちにとってはとても難しいことだ」と監督は司教の言葉を引用した。
司教は、「聖ヨセフは若者にとって素晴らしいロールモデルであり、若者は『私は正しいこと、自分の信念のために立ち上がる。暴徒に、彼らがすべきだと思うことを強制されたくはない』と言うだろう」と語った。そして「これは私が自分に課した目標の一つだった」と監督は認めた。彼は、ヨセフを人々が理解し、愛することができる多面的な人物として描きたかったと述べた。「この映画で初めて、マリアとヨセフの絆が開花するのを見ることができると思う。彼らの使命と彼らがしなければならなかったことに基づいて、彼らがどのように互いに近づいていくのかを見ることができる」とDJは語った。
どうすればマリアに近づけるかという話題に移ると、DJは、「私も妻もロザリオを祈るし、何人かの子供たちも祈る。デビッド司教が亡くなったとき、彼の家族は私に彼の犬を譲ってくれた。彼は毎朝散歩に連れて行き、ロザリオを唱えてから散歩を終えた。毎朝、キト(犬)を連れて散歩に出かけるとき、いつもロザリオを祈る時間があるわけではないが、アヴェ・マリアをと主の祈りを2回ずつ唱える。アヴェ・マリアは私の1日の大きな部分を占めている」と述べた。
DJ はインタビューの最後にこう付け加えた。「(マリアの物語を見せるという)このアイデアで、私が最も気に入っているのは、マリアは祝福され、選ばれたということだ。しかし、彼女はそれを受け入れなければならない。恐れながらも『わかった』と言わなければならない。彼女は神を自分の心の中に受け入れる。この映画を観た人は、彼女は私たち全員がしなければならない選択をしていることに気づくと思う。彼女の人生が楽になるというわけではない。でも、素晴らしいことを成し遂げるには、選択をしなくてはならない。受胎告知のシーンを撮影したとき、ガブリエルが彼女のところに来て、彼女が『(お言葉どおり)この身になりますように/Let it be to me』と言ったとき、私は涙があふれ、それがこの映画を作った理由だと気づいた。彼女がその選択をしたからだ」
そして、彼は、自問するように、「これを伝えることができるだろうか」と言った。この作品の試写会の後、「本当に素晴らしい。聖書の叙事詩がこんな風に見えて、こんなに素晴らしいとは思わなかった」と度々耳にしたと言った。「若い観客がマリアに近づき、より身近に感じることができれば、私にとってこの映画は成功だ。この作品を観たすべての人が、マリアをより身近に感じてくれることを願っている。視聴者にマリアが本当のヒロインであることを発見してもらい、マリアが持つ美しさ、愛と光をより深く理解してもらいたい。それが私の唯一の目標だった」と述べた。
New York /Fr. jj