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ながいき農園のかいです。

自己紹介

みなさん、初めまして。
ながいき農園のかいです。

私は3月までJR東日本で駅員として働いていました。
しかし!心機一転し、4月から新米農家を目指し、日々勉強しております!
・年齢は1998年生まれの現23歳
・出身は宮城県多賀城市
・大学の専攻科目は【インドネシア語専攻】
・JR東日本→農家→???

なぜ大手企業を辞め、農家に?

おそらく多くのみなさんが知っているであろう会社を辞めるには、ただ闇雲に農業をやりたくて、というわけではありません。3つ理由があります。
①社会にインパクトを与えられたなと感じながら最期を迎えたい
②【農業】を軸に地方創生を行う。
③【若者】が町に残ってもいいかなと思える選択肢を創る
この3つの理由から安定と大企業ブランドを諦めることができました。

①社会にインパクトを与えられたなと感じながら最期を迎えたい

なぜ私がこんなことを感じたのか。
それは、尊敬する先輩と大学までの経験からになります。

就活を目前にした私は、ある日のバイト中に先輩から「お前は死ぬ時に、どう感じて最後を迎えたい?」と聞かれました。
突然聞かれた私は、「なんでそんなこと聞くの?」と質問返しをしてしまいました。笑

この先輩は就活を終えて、大手銀行に内定をもらっていました。
そして先輩から「これに答えられると、人生で何がやりたいか大きな枠組みがわかるぞ!」と教えてもらいました。

そして大学までの辛い過去や、これまでの経験から出た答えが
「社会にインパクトを与えることを人生で成し遂げたい」
ということでした。

②【農業】を軸に地方創生を行う。

就活前に決めた【地方創生】

大枠で「社会にインパクトを与えることを人生で成し遂げたい」と答えが出たが、抽象的すぎて自分自身で自問自答する日々が続きました。
そんな矢先に、千葉県長南町に住んでいた私は2019年の豪雨災害を経験します。
そして【地方創生】に取り組むと決めました。

いざ就活が始まり、私は複数の業界を受けました。
理由は、リソースを限定せずに地方創生を行いたい、と考えたからです。
そして入社したのはJR東日本でした。笑

内定受諾後に、やりたいことが変わった?!

しかし!
内定をもらった後に参加したJA長生のアルバイトで、【農業】で地方創生をしたいと明確になりました。
アルバイトの内容は長南町全域の農家さんが作って出荷する分を私たちが引き取りに行くという内容でした。

働いて待ち受けていたのは、「農家のみなさんがもう辞めたい・ただで土地を貸すからやってくれ」などの悲鳴の連続でした。
そして地域集落で農業を行う組織でさえ、様々な条件から土地を返しているという現状です。

この事実と声を聞いた後に、この問題をなんとかして解決したいと強く感じ、【農業】を軸とした地方創生を行うと決意しました。

③【若者】が町に残ってもいいかなと思える選択肢を創る

そしてなぜ【若者】が町に残ってもいいかなと思える選択肢を創るのかというと、長南町で親友と一緒に農業を通して地方創生を行うためです。

きっかけは親友の上京

親友の上京がきっかけになります。
彼は就職と同時に上京しました。
私がこの町に引っ越してから、彼は農業の素晴らしさを沢山伝えてくれました。
彼は「農業をやりたい。でも農業では稼げない現状がある。だからいつか帰ってきて農業をやりたい」と言葉を残し、町を離れました。

この時、彼が帰ってきてもいいかなと感じる環境を自分で作ってしまえばいいのか考えました。

なぜ選択肢を創るのか

彼のように町に残りたくても、残れない人がいると思います。
この問題は、これからも町の未来がある子供達にも起こりうる問題だと考えます。
だからこそ、私は【農業】を軸とした地方創生に挑戦し、【若者】が町に残ってもいいかなと思える選択肢を創ることに取り組んでいきたいと思います。

最後に

現在、私が全力で農業に取り組めている背景には、人間として・経営者として尊敬できる社長の存在があるからです。
社長との話もまた今度皆さんにお伝えしたいと思います!

長文にも関わらず、読んでいただきありがとうございます!



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