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みんなが知ってる春木開。みんなが知らない春木開。【第二部】

この記事を見る前に、ぜひ前編をご覧ください。



「死ぬ気の努力の1秒の積み重ねが自分すら想像することのできない未来を切り開く」。


その言葉を信じ努力が報われ夢と希望とこれからの輝かしい未来に胸が一杯で迎えた神戸大学の入学式で待ち受けていた現実は


「いい大学に入学したら人生勝ち組になれる時代は終わった。大学に行ってなくても成功する人は成功するしいい大学に行っても成功しない人は成功しない時代に突入した。決してこの大学に入学したからって自惚れないでください」


「ぴ、ぴ、ぴ、ぴえん」


今考えれば当たり前の事だ。

現代はAIの発達やGAFAを台頭に日々変化し続け、今日の当たり前が明日には当たり前ではなくなるスピード感で進化している。

それなのに教育システムはというと、何も変わってない。義務教育を終え有名大学に入ったからといって人生が保証される時代はもう終わったという現実だった。

有名大学に入りさえすれば将来は保証されると思っていた自分にとっては、この言葉はあまりに重すぎた。

更に残酷な現実は押し寄せてくる。地元岡山を離れ初めてした一人暮らしは家賃4万円広さ4畳のボロボロなアパート。冬になれば毎日隙間風が吹き寒さで震えが止まらなかった。

お金がなく節約してエアコンも付けなかったが、あまりの猛暑で唯一クーラーを入れた時、エアコンが動き出すと同時に大量のゴキブリが飛び出した時は涙と震えが止まらなかった。


挙げ句の果てに、玄関には家を守るかのように大量の家守(ヤモリ)がいつも「いってらっしゃい、おかえり」と言わんばかりに群れを成していた。


お金を稼ぐため居酒屋で馬車馬のように働いたが悲しい事にバイト代は消えていく。
・学費の返済
・家賃
・原付のローン
(六甲山にある大学キャンパスまでの交通手段の為に購入した。後に右ブレーキが壊れるが直すお金もなくブレーキは右足と化した)


バイトを増やしても実家にいた時より貧しい生活になった。

基本食事は祖父が送ってくれた米におかずは小量のゴマ、少し奮発した時はツナ缶やなめ茸を米にかけて食べてた。

居酒屋のまかないは保存が効かず持って帰れないので高校生の時にしていたコンビニのバイトの方がよっぽどいいと身に染みて感じた。

今だから言えることだが、居酒屋のバイト中にお客様が手をつけず残ったカマンベールフライや唐揚げを何度食べていたか覚えてない。

それくらい食べる物にも困り、生きるのにも必死だった。


更に大学受験期はこの試練を乗り越えた先に「社長になってお金持ちになる」という明るい未来があると思い、一筋の光を信じ頑張り続けたが現実経営学部で学べることは「経営者」になる為の勉強ではなく、「経営」に関する勉強であった。


基本的には税理士や公認会計士になる人が多く、主に簿記や税務などを勉強する学部だと入学してから知った。


大学の先生に「どうやったら経営者になれるか」と問うもののピンとくる答えは返ってない。

冷静に分析したら経営学部で経営学を教えている教授は大学の雇用者であり、経営者ではない。

そんな人に「経営なんて教えれるわけない」というからくりに見事気づいてしまった。


一抹の輝かしい未来が見えながら苦労を噛みしめ乗り越えていく人生と、真っ暗闇で何も見えない中で苦労を噛みしめ乗り越えていく人生とでは月とスッポンくらい訳が違った。

大学生活も当時人気だった妻夫木君主演のオレンジデイズ(皮肉にも妻夫木くんの名前がカイ)が描いてた友情と愛情で溢れたキャンパスライフとは程遠く思い描く理想像と違い、漫画がアニメ化された時の声くらい異なっており違和感があった。


変に偏差値が高い大学だけあって俗にいうガリ勉や真面目な人ばかりで話が合う人もいなく人生で初めて友達がいないことで悩んだ。

今ほどメンタルが強いわけではなかった当時、一人食堂で食事をするのが惨めに感じ、隠れてトイレで食べたことも沢山ある。

入学して少し経つと、だんだんとグループもでき始め、とりあえず友達は作っておいたほうがいいと思った。相手に話を合わせ付き合いをしていき全く好きでもないカードゲームの話に花を咲かせてそれなりに仲良くなったくらいだ。

時に自分をさらけだすと「春木君と一緒にいたら他の友達ができる気しないんだよね」と言われ何故か振られた気分になった笑笑

ありのままの自分でいることよりも、人に好かれる自分でいることを優先し続けていたら結果苦しくなる。全ての人間に合わせようとして沢山の顔を持つと結局自分の本当の顔さえ忘れてしまう。

多数の仮面をかぶるより素で勝負する重要性を大学生活で学んだ。

しかしその結果、大学に友達もできず彼女もおらず当たり前のように大学にも行かなくなってしまい将来の夢も目標もやりたい事も見つからなかった。

その上、毎日食べていくのに必死でお客様の残飯処理ばかりをしてる自分に嫌気がさし「寝て起きてバイト残飯処理→寝て起きて残飯処理」と負のループに陥った。

なんか「生きてる意味ないよな」と空虚に襲われ、かと言って死ぬ意味もなかった。
常に孤独と隣り合わせで淡々と時だけがすぎていき人形のような生活を送っていった。

地元を離れる時、当時の仲間は「辛くなったら、いつでも帰って来いよ」と盛大に送り出してくれたけど、そんな手前結果を出すまでは帰れる訳もなく相談もできなかった。


そんな中自分の人生の転機となる出会いが訪れた。




大学時代の彼を唯一の友達が語る。
中川裕貴(神戸大学経営学部の同級生)
株式会社BOND代表取締役社長、Suprieve Consulting株式会社取締役。

神戸大学のアメフト部新人歓迎会。誰よりも運動神経が悪いのに、誰よりも楽しんでいる男がいた。それが春木開だ。


学校にはほとんど来ないのに成績は優秀。
僕がレポートのタイトルを考えている間に、数千字を書き終える。

普段はエッチなことしかアタマにないのに、ここぞという時の集中力とアタマの回転の早さには、いつも驚かされた。

行動力も半端ない。
大学の学園祭で一緒に模擬店を出そうとしたけど、「2人ではダメ」と学校に友達がいなかった我々は断られた。

「ゆっきー悔しいから俺いつか本物の店を出すわ」

そう言っていた彼は数年後、大阪のミナミに大型レストランバーをオープンさせる。
やらないことは口にしない。
口にしたことは何があっても実現させる。

想いの強さはマザーテレサ並みだ。

見た目で勘違いされることも多いが、彼ほど周りを愛し、そして愛されている人はいない。

彼の口から人の悪口やネガティブな話を聞いたことがない。

裏表もまったくなく、SNSやYoutubeで見せる姿そのままだ。

「この人のために」「この人と一緒に」と思わせる、不思議な魅力を持っている。

これからカイにはサロンをもっと大きくして、たくさんの人にカイの考え方を伝えてほしい。

それと、忙しくて時間がもったないからかもしれませんが、ご飯の食べ方は人一倍早くて汚いので、もう少しゆっくりきれいに食べるようにしてください。

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春木 開
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