見出し画像

9/2(月)フック船長を追ってるやつかな

遠距離を行き来しての介護生活がはじまって、次々状況がかわる両親に対応するにあたり、わたし側のイレギュラーな事態はなるべく避けたいので、これまで丈夫なのをいいことに無視していた健康診断を受けるようになったら、毎回乳がんと肝臓がんに微妙にひっかかる

乳がんの方は、地元の専門医を経て徐々にステップアップして、今は総合病院で数ヶ月おきに検査を受けるサイクルに組み込まれている

本館新館外来棟たちが長い廊下で繋がる建物は、たまにしか行かないと複雑で、すぐに手近なスタッフさんに予約票を見せては、わたしは次にどこに行けばいいんでしょう?と聞いてしまう

外来棟で受付後、本館で検査を2種受けて、また外来棟に戻り診察を受けると、いまいち疑わしいのでもう一回本館で別の検査後に診察を、さらにお会計は別フロア、なんて一日に数往復

前回来たのは、ちょうど父が肺炎で入院中の12月で、入院理由も忘れてしまうから、なぜそこに居なければならないのか納得いかないまま、すきあらば脱走を試みる父に手を焼いている(病院スタッフさんたちが)時期だった

検査のためなんども廊下を往復しながら、もしわたしがわけもわからずここに放り込まれ、自分の意思では出られないとしたら、と考えたことを思い出す

病院での検査を終えて帰る途中に、父の施設から着信があり、父が買い物に行きたいから帰ると言ってきかないので、少し話して引き延ばして欲しいと頼まれ、電話を替わると、父の帰りたい理由は人と会う約束がある設定に代わっていた

面白いので、へぇー、誰と?近所の同級生?あら、まわりにお友だちいなくなって寂しがってたけど、まだいらっしゃったんだ、良かったね、あ、同級生の弟さん?なんて聞いているうちに、施設の夕食準備が整ったらしく、促されて父はおとなしく食堂に行ったようだ

帰宅後、その顛末を夫に話すと、「嘘をつかせることになるような聞き方はやめた方がいい」と言われる

父自身に、嘘をついている意識はさほどなく、言っているうちに自ら信じてしまっているように感じていたので、なるほど夫の言うような視点はなかった

子どもが小さいころ、「河童や天狗の友人がいる」と言い出したり、自分が主人公のおはなしをしてくれ、とせがんできたりした時の、妄想ストーリーを共有するのと同じような感覚で父のことばも聞いていたけれど、確かにそれとは違って、父本人には辻褄をあわせることに罪悪感が混じっているのかもしれない

(おそらく)事実とは違う話がドライブしていく感じが面白くてつい調子に乗ってしまうのだけど、嘘にならない範囲で、かつ否定せず話を合わせるのって難しくないか?

以前、初対面のお子さんに、「ここは海 ワニが来た!きゃー!」といきなり設定を振られたことがあったけど、そっちの話に乗っかる方がよっぽど楽だったよ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?