そしてラクロスに救われた
二回にわたって「社会人でラクロスを続ける意味」についてnoteを書いてきた。
この2つは「社会人になるラクロッサーさん達、社会人でもオススメですよ」という内容ですが、
「そもそもなんで私が今もラクロスをやっているかという理由」についてもせっかくなんで書いておこうと思う。
ラクロスは私にとって“第三のコミュニティ”として必要なのである。
“第三のコミュニティ”とは
以前、「ラクロスはコミュニティとして参入障壁が低い」と書いたが、そもそも社会人がコミュニティに新たにいる必要はあるのだろうか。
社会人生活の中で「仕事・職場」、「家族・パートナー・家庭」、「友達」といったコミュニティにいると思う。
社会人での生活の中で、仕事や家族・パートナーと違うカテゴリーの人達と会うことはけっこう重要だと思う。
社会人だけでなく学生も似たようなことがあると思うが、
職場の悩みを全て職場で解決出来るわけではないし、家庭での悩みを全て家庭で解決出来るわけではない。
また、家庭に職場の悩みを持ち込みたくなかったり、話しづらい人もいるだろうし、職場に家族やパートナーの話をしたくない人もいるだろう。
そういう時に別のコミュニティ、いわば“第三のコミュニティ”が機能してくる。
だいたいの人は「友達」だろうか。
ただただ話すことが気持ちを楽にしてくれることもあるだろうし、なかなか話しづらいこともふと話せたりする。
誰かから解決のヒントをもらったりする。また、いろんな価値観や立場を持った人に出会うのも面白い。
「友達」いるし“第三のコミュニティ”とかわざわざいらない、そうなるとラクロスじゃなくていいよねと言われそうだが、正直何でもよいと思う。
大事なのは、そういう“第三のコミュニティ”を持つことだと考えている。
なぜ“第三のコミュニティ”を持つことが大事なのかというと、私自身、人生のどん底を経験した時、ラクロス、そして今所属しているTLCに救われているのである。
どん底
2019年6月。どん底に私はいた。
「離婚」したのである。
男女関係には好きではどうしようもないことがある。
私はわかっていなかった。あまりに自分が未熟だった。頑張れなかった。
奥さんへの申し訳なさ、後悔、自分への怒り、親への思い、スピード婚だったのもあり、周りの目をとてつもなく気にした。
さらっとこれぐらい書けるので、当時は書ききれないくらい、抱えきれない思いがいっぱいあったのを覚えている。
本当に辛かった。
自分が追い求めていた「家庭」というものを理由はどうあれ手放すことになったことをひたすらに責めた。
周りの目を気にして誰にも話さず、悩んでいることを誰に話していいかわからず、どんどんふさぎこんでいった。
そんな折、
「見学でもいいから練習来たら?」
という連絡がきた。
TLCのキャプテンからだった。
実は結婚してからもうラクロスは出来ないなと思い、当時のTLCのキャプテンに辞める話をしていたのだが、「落ち着いたらでいいからまた来やすいように籍だけ残しておきなよ」と引き止められた。
その後も全然行ける見通しが立たないので辞める話を何度かしたのだが、その度に「同期が辞めるの嫌だから無し」と拒否られた。
当時は行けない身で複雑だったが、今思うと引き止めて籍を残してくれた当時のTLCのキャプテンには感謝しきれない。
見学だったが、私は練習に行くことにした。
その日のことはよく覚えている。
とある大学での合同練だったが、運悪く電車が大幅に遅延して到着が遅れた。
身も心もボロボロでどんよりな私と対照的で、太陽が燦々と照らす快晴だった。
仕事以外で外に行くのも久しぶりで、6月の初夏の気温の中、歩くのが辛かった。
(久しぶりに練習行って何言われるかこわいなぁ、イヤだなぁ…)
グラウンドにつくと既にアップが始まっていて、遠くから見ていた。
すると、
「ちゃんかいさん、生きてたー!」
アップ中のTLCのメンバーに呼ばれた。
すでにみんな離婚したことは知っていた。
でも、以前と変わらず接してくれた。
それがとても嬉しかった。
離婚してから周囲の人から距離を取っていたし、私の雰囲気を察して話かけない人も多かった。
その時に、
「あぁ、帰ってきたなぁ」
と思った。
今振り返ると、実家でふさぎこんでいた私としてはTLCに行くことは必要だったと思う。
ずっと復帰したいと思っていたし、ラクロスしたいなという気持ちを抱いていた。
心のどこかでTLCにいることは自分にとって重要だったから、“帰ってきた”と思ったんだと思う。
どん底のどんよりした世界の中で、ひたすらに自分を責めて苦しむだけだった私に少しだけ前を向かせてくれたきっかけだった。
その日をきっかけにTLCに戻った私は徐々にだが元気を取り戻していった。TLCの“荒療治”や周りの人に支えられながらどん底から抜け出していくのである。
「救われた身」として
2019年、私はどん底に落ち、いろんなものを失った。
今まであったものや価値有るものがガラガラと崩壊していった。
ただ、全て失ったわけでなくリセットされたようだった。
ラクロスのように残ったものや得たものはあった。
人生観はだいぶ変わったかもしれない。
今と昔では物事の感じ方もだいぶ違う。
仕事、トレーニング、執行部の仕事、土日は練習とやることが多くてたまに嫌になることがあるが、ラクロスが出来る環境があるだけでも今では幸せなことだよなと思う。
そして、ラクロスというコミュニティが無かったらどうなってたか想像もつかない。
そう考えると私はラクロスにずっと救われてきたと思う。
大学でラクロスを始めたことで少しまともになった。
社会人でもう一度ラクロスを始めて何もなかった日々から、一転していろんなことが経験出来た。
そして、どん底から救われた。
こんな経験をした人はあまりいないと思うが、こういう形でラクロスに価値を見出す人もここにいる。
いろいろ書いたが、今ラクロスをやる理由は単純にラクロスすることが今の自分には必要だからだ。
人それぞれラクロスへの思いに違いがあっていい。そこに優劣は無い。
そして、その関わり方も人それぞれでいい。
そのつながりがいつか役に立つことがあるかもしれない。
「救われた身」としてそう思うのである。