見出し画像

カップ焼きそば

アウェイで負けて帰る時、必ず夕食としてカップ焼きそばを食べている。いかなる海の幸や山の幸が名物だろうと、目の前に特産物がぶら下がっていようと、有無を言わさずカップ焼きそば。なお、必ず「超大盛」である。付け合わせやデザートはもちろん問題外だ。

元々別のチームの人がやっているのを目にして、ふざけ半分で始めたのだが、これが思ったより自分にハマった。「超大盛」というのがポイントである。夜のサービスエリアで大量の湯を切り、フードコートのテーブルで脇目も振らずに黙々と食う。というか、脇目を振ったら負けである。蓋を開けた時の麺の威圧感たるや尋常ではなく、味は濃くただ単調。そもそもカップ焼きそばというのはたまに適量を食うのがいいのであって、負けた時の苦行として位置付けられること自体、焼きそばの生産元もまあまあ迷惑だろう。

FC町田ゼルビアの好調に伴ってカップ焼きそばの出番も相当減っていたのだが、ついにGWの初日に全然ありがたくない機会が巡ってきた。一人旅、笑い話にできない程度の弱い雨、そしてどこを切っても焦点の定まらない試合。嫌いな相手に負け、嫌いな選手に点を取られる。久々の登場にふさわしい、かなり久々に惨めな遠征だった。

夕食どきのサービスエリアで大量の湯を切り、コンビニ飯でも楽しそうな大学生一行を尻目にひたすら麺を消化する作業。自分の周りにだけまとわりついている澱んだ空気を、噛んで胃の下に降ろすルーティーン。要は禊、精神の浄化作業。

新しい選手に新しい対戦相手、新しい大量のサポーターに新たなメディア露出。そんな華やかさに目を奪われて忘れがちになっていたのだが、フットボールというのはある意味でこの「惨めさ」をうまくやり過ごすコンテンツだと思っている。熱狂とか感動とかそんなキラキラワードではない。胃痛、ため息、行き場のない怒り、虚しさ、喉の痛みに節々の疲労、その他多数のネガティブワード。たまにそんなものを全て吹っ飛ばしてチャラにしてくれるようなこともあるかもしれないが、それに出会えることはかなり稀だし、逆に出会いすぎると、不感症的なおかしな慣れが出てくる。

だから、基本的にはこの「惨めさ」をいかに楽しめるか、惨めさにとらわれている自分をどこかで滑稽に思いながら笑っていくような自己の捉え方が、フットボールと接する時のコツのような気がしている。かなり不健康だけど。

次に行ける試合はしばらく先だ。今日耳にこびりついた敵の嬌声に、しばらく胃を痛めながら生きていく。誰かのせいにしたいが、自分の顔しか思い浮かばない。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?