剥き出しの気持ち(2024.11.15 ジャカルタ遠征)
齢三十を超えてからか、気持ちを表に出すのがとても下手になったように感じる。怒るにせよ、喜ぶにせよ。ある意味大人になったといえばそれまでかもしれないけど、何事も他人事のように心が動かず、淡々と受け流してしまう自分に、一抹の寂しさと危機感がある。自分のクラブの応援から距離を置いたのも、インドネシアに行くまで入院していたのも、そこがかなり影響している。
そんな中でジャカルタに行った。グローバルに相互監視の網の目が張られた社会において、ウルトラスとフーリガンがかろうじて生き残っている最後のフロンティア。でもYouTubeでよく目にするようなそういう代物だけでなく、ただただ代表チームのことを気にかけている「普通のサポーター」も、強く印象に残った。
地方から13人で車に乗ってきたという、温厚な家族連れのご一行。途中で車が壊れ、片道7時間かかったと笑いながら話していた。試合の翌日に街中で声をかけてきたマダムは、僕が着ていたシャツを見るなり「すごくクールなユニフォームね!日本から来たのでしょう?」と。岡田優希のユニフォームを褒められたのは初めてだし、多分今後もないと思う。
スタジアムからホテルから街中まで、とにかくどこに行っても代表戦の話になり、試合の後は「自分たちも悪くなかったが最後のクオリティがものをいった」と悔しがっていた。みんなの頭の片隅にフットボールがあった。
もちろん試合の日、両ゴール裏に陣取ったLa Grande IndonesiaとUltras Garudaのディスプレイも素晴らしかった。個人的により印象に残ったのは、Ultras Garudaの新聞記事のビッグフラッグ。1968年のムルデカ大会で日本を7-0で一蹴した記事と共に、「忘れるな、我々はもう一度起こることを信じている」と。アジアで最も早くワールドカップに出場した伝統国の矜持と、その復活にかける思いを感じた。
熱い奴らに当てられると、それ以上の気持ちを見せたくなる。いつもの飲み仲間の皆さん、顔は知ってるけど名前はよく知らない皆さん、遠足がてら来てみたらとんでもない試合に出くわしてしまった在留邦人の皆さん、総勢約1,300人の日本人。とりわけ年齢やカテゴリーに関係なく、いつも自分のクラブで地道に頑張っている人たちが、これほど頼もしく感じる瞬間はない。色々とタフな環境だったけど、あんなに楽しく自分の感情を表現できたのは久しぶりだった。
88年ぶりのワールドカップ出場に向けて、ピッチの中も外も全力を尽くしているインドネシア。相手サポーターの挑発やちょっかいもあったと聞くし、アウェイサポーターは巨大なスタジアムの最上段の一角に押し込まれたし、椅子もトイレもめちゃくちゃ汚かったけど、そんなところでの「リスペクト」なんか一切求めていない。
剥き出しの気持ちを持って勝ちに行くこと、そんな相手を4-0でボコボコにすること、静まり返ったスタンドで相手の脳みそにこびり付くくらい歌ってやること、要は「勝負に徹すること」こそが、フットボールに対する唯一の敬意だと思う。
全身が酸欠でビリビリになるくらい歌ったし、入院生活の衰えのせいで、足腰に激痛を走らせながら帰路に着いた(そしてまだ痛い)けど、なんだかとても満たされた気持ちでいる。もしかしたら明日死んじゃってもいいかもしれない。いや、またこんなAwaydaysを送れるように、明日も明後日も生きよう。そして今回来られなかったあなたも、次はぜひご一緒に。