サッカーノート
今年に入って、サッカーノートを書き始めた。高校サッカーでマネージャーをしていた頃以来だから、10数年ぶりだ。
もっとも、書いていることは当時とかなり違う。当時はマネージャーだったから、周りの選手のコンディションやメンタル面を中心に書いていた。今は完全に観る人だから、両チームのスカッドや並び、試合中のイベント、戦略・戦術面のメモが中心だ。
今さら書き始めたのにはいくつか理由があるが、主には「サッカーが以前よりつまらなくなった」ことである。
その気持ちは、カタールのW杯の頃からあった。現地で熱狂しつつも、ある意味人間離れしたプレーの連続に、どこか醒めた感情を持っていた。
ピークは帰国後の決勝戦だ。120分を戦い切って3-3、奇跡的なドラマの連続、そしてメッシの戴冠。文字通り「神の子」の所業としか思えなかった。めちゃくちゃ面白いのに、めちゃくちゃつまらなかった。
それでも世界はサッカーに熱狂する。どこに行っても誰かがボールを蹴っている。札束が飛び交うプロの世界に辟易しながら、それでもスタジアムにいる。自分も結局その一人だ。この魔力は何なのか。サッカーには、まだ私が知らない面白さや奥深さが詰まっているはずである。
そんな思いを漠然と抱いていたころ、町田がJ1に上がった。J1のピッチはJ2と比べてはるかに複雑怪奇だ。今何が起こっているのか。何が良くて何が問題なのか。事象と事象が絡み合い、また別の複雑な事象が見えてくる。そこには見えていない別の事象も絡んでいる。私が知らないサッカーがそこにあった。
中でも自分の中で答えが出なかったのが、相馬勇紀と白崎凌兵だ。相馬はどうしてあんなに上手いのに、すぐにチームにフィットできなかったのか。平河と相馬の何が違うのか。彼のプレーは良いのか悪いのか。
白崎は確かに上手いし運動量もあるけど、突出した武器はないように思えた。4-4-2の時も思うようにプレーできていないように見えた。なぜそんな彼がFC東京戦で結果を出せたのか。なぜ清水ではベンチを温める方が多かったのに、町田では完全移籍で迎え入れるまでに至ったのか。
もちろん、他人の言葉を借りるのは容易い。彼らを評価するブログは巷にあふれている。でも、できれば自分の言葉で語ってみたい。どんな文化でも、語り手が多ければ多いほど成熟するはずだ。素人のノート一冊で何かが変わるわけではないし、そんな大層なことを書けるわけでもないが、自分の意見くらいは持っておこうと思った。
ノートを開くと「せっかくだから何か見ようか」と思う。今年に入ってからテレビで8試合観た。加入している有料放送の関係でブンデスとセリエAが多いが、いつも夜中でボーッとしながら観ていることが多かったから、改めて真面目に観るとかなり発見がある。
イタリアーノは後先考えないオールコートハイプレス。ラニエリは相変わらず修繕作業中。リベロに魔改造されつつあるフンメルス。ヒュルツラーを失った後、ブレッシンの底堅いサッカーで何とか生き残ろうとするザンクトパウリ。何がいいか悪いかはまだよく分からないが、サッカーの奥底が見えないのだけはよく分かった。
とは言え、グラウンドでノートを広げていると本当にヤバい人に見えそうだ。それに現地じゃないと吸えない空気ってのがある。私のノートはとりあえず自宅専用にしつつ、現地は何か取っ掛かりを得る場所にしようと思う。
サッカーは凡人の理解を許さない。分かったと思っても次の瞬間に分からなくなる。分からないからみんなが寄ってたかって意見を持つ。分かることは一生ないと思うけど、いつか分かりたいとも思う今日この頃である。