2020年はGfriend(ヨジャチング)の年だった、異議は認めるが拒否する

Gfriend(ヨジャチング)の新曲が昨夜リリースされた。題して『Mago』

ぼくは、Gfriendの献身的なファンではない。数年前からk-popにはまったけれど、特定のグループのファンであったことはない。その時々に、すてきなパフォーマンスを見せてくれるグループを応援してきた。

Gfriendに関しては、以前、『Gfriend(ヨジャチング)少女達のメタモルフォーゼ』という記事を書いたことがある。4年前に偶然モンゴルのホテルのテレビで見た彼女らのパフォーマンスに魅せられて以来、新曲が出る度にチェックしていた。

デビュー当時、女子高生の制服や体操服姿で歌い踊っていた彼女らのキャッチフレーズは「パワー清純」だった。Glass BeadsやRoughといった曲で、爽やかで初々しく、それでいて壊れやすい少女の物語を紡いできた彼女らのストーリーは、やがてteenagerでなくなった頃から、変化を余儀なくされる。

ここまでのGfriendの歩みには、(実証はできないけれど)一つの映画が影響している気がしている。2001年に公開された韓国映画『子猫をお願い(Take Care of My Cat/ 고양이를 부탁해)』だ。

かつて仲良しだった女子高生たちが、卒業後、それぞれの進路をめぐって、学生時代には感じずにすんだ、自分が置かれた環境の違いを意識せざるを得なくなる。

今にもぺしゃんこになりそうな貧しい家でおばあちゃんと一緒に住みながら画家になる夢を見ている少女。キャリアウーマンとして成功した姉にまけじと大企業に就職するけれど高卒ゆえにお茶くみ扱いしかされないことにいら立つ少女。それなりに繁盛している銭湯の娘ゆえに就職もせず夢を追いかけていられるけれど、そんなモラトリアムに茹でカエルのような焦燥感を味わっている少女(演じるはペ・ドゥナ)。

結局、少女たちは、自国での夢の実現をあきらめ、それぞれの道を求めて、外の世界へと去っていく。少女ゆえに背負わされる残酷さと、少女ゆえに外の世界に飛翔できる可能性を示唆して、映画は終わる。

そして2020年。所属事務所があのBTSを擁するBIG HIT ENTERTAINMENTに買収され、新たな一歩を踏み出した時にリリースされたのが、少女たちが大人に変わるタイミングで、残酷な別れを余儀なくされるCross Roadsだった。

そして、辛い現実に直面した少女たちは、次の選択をする。「常識なんか、くそくらえ!」「やりたいようにやるから!」

過激な選択を前に、少女たちは自らに過剰な装飾を施す。それが2020年夏にリリースした、Apple。

そして、2020年もあと50日余でリリースしたMago。もはや過剰なメークや衣装は必要ない。少女たちは軽やかに、懐かしいディスコサウンドで、自由に歌い踊る姿を披露した。

世界は変わる。グラマーでセクシーで従順な美女を従えることが男の特権という古臭い価値観を振りまいた、世界最大の覇権国のトップがその座から引きずり降ろされた。

70年代、すべての人種や、性別が、自由に自己主張できる世界が来るはずと期待があった。その期待を裏切られつつ、傷つきつつも、半世紀という時間をかけて、ここまで来たことを証明するように、彼女らは軽やかに歌い、舞う。


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