ゴミ泥棒。【ショートショート】
諸君、私は泥棒である。
私が盗むのはただ1つ。ゴミだ。
ゴミを盗む。
そんなものを盗んで何になるか、だって?
諸君、わかっていないようだな。
ゴミにはその人そのものが出ると言っていい。
嗜好品、食べ物の好き嫌い、生活のリズム、そのすべてが出る。生きた証そのものだ。
消耗品ではないものを捨て去る時に、不要なものだと切り捨てられたそれらは言い換えると思考の足跡となる。不要だと選別した意志が宿っているのだ。諸君がゴミと呼ぶそれらには。
生きた証。思考の足跡。私はそれを知る事に無上の喜びを感じる。
これまで諸君に合わせて便宜上ゴミゴミ言ってきたが。
ゴミではない。私にとってそれは宝となる。
その中でも特に好きなものがある。
なんだかわかるかね?
諸君、文章だ。
捨てられた文章。陽の目を浴びなかった文章。
文にはならなかった文章。
言葉にはならなかった叫び。
私はそれを盗んで読むのが何よりも好きなのだ。
それらは紛れもなく書き手が思った事にも関わらず、あえてそれを「伝えない」選択をしたのだ。
「残さない」選択をしたのだ。
だからこそ削除され、捨てられて私の目に届いた。
私は捨てられたものの探求にすべてを捧げているからな。逃さぬよ。
誰もが羨む生活を発信し続けるセレブに、葛藤が無いと思うかね?
普段おちゃらけ続けている道化は、暗い感情を持たないと思うかね?
真面目なライフハックを提供する者は、しょうもない事を考えないとでも?
すべてNOだ、諸君。当然わかっているだろう。
諸君にもあるはずだ。
美しい文章の書き手であっても醜悪な感情は宿る。
下衆な話ばかりする者の中にも美しい感情は宿る。
宿るが、それを「表現」しなかったのだ。
表現することを選ばなかった。
私はそこにその者の信念を感じる。美しいと思う。
……だがその一方で、寂しさも感じている。
あぁ、白状しよう。
私はもったいないと思う性分なのだ。
この生き生きとした文章を、生々しい感情を本当に捨ててしまったのか。と。
それは、捨てていいものだったのか?と。
捨てたわけではない?なるほど。だがその時に選ばなかった事は確かだろう。それは、いつ出すのだ?出さない激情を抱えて生きるという事は、出す選択肢を捨てていると言えないか?
買って、ずっと読まれなかった本はいつの間にか名前が「ゴミ」になっている。悲しい現場を私は見てきたよ。鮮度が存在するのだ。この世のものにはすべて。それは気持ちも例外ではない。昇華された気持ちは、新鮮さを捨てていると言えないか?
生きる事は選ぶことだ。当然、理解している。
選ばれたものと、選ばれなかったもので人は構成される。その選択こそがその人足らしめる。
選ばれなかったものがゴミと名付けられる事もあるだろうさ。
だから、それは私が盗むよ。
この場合、拾うと表現しようか。
私が拾ってちゃんと見届ける。
諸君、もう一度言おう。
私が盗むのはゴミではない。
私にとってそれらは、宝だ。
嶋津亮太さんの第三回教養のエチュード賞に参加させて頂きます。よろしくお願い致します。
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