幼稚園の運動会の練習を見ながら起こった変化。

近所に幼稚園がある。

平日可愛らしい声が家にいても聞こえる距離にあるのでとても得した気分でいる。

最近は運動会が近いのだろう。その練習に明け暮れている。

私が一人で幼稚園の様子を見ていると完全なる不審者であるが、おばあちゃんと一緒に見ているとなんだか先生方も許してくださる雰囲気になるので、挨拶とお礼をしつつよく可愛らしく駆ける子供達をフェンスの向こうから散歩の合間、通りすぎる少しの間だけ見せて貰っている。

ありがとうおばあちゃん。役得である。

今日の出来事だ。

かけっこで走る子を、他の子達が応援する、という練習をしていた。

「がんばれーがんばれー」と応援するのだ。

実際に走っている子達は一生懸命走っている。

だが、練習であるという絶対的な壁が応援する子供達から本気度を奪い、その「がんばれー」の言葉のあまりの無機質さに私は笑ってしまった。

あまりにも感情の込もっていない「がんばれー」。

平熱にも程がある。

だが、多くの子達が大人も感心する程の棒読みの「がんばれー」を繰り出す中で、3人の子供達だけが、本気の声で「がんばれー!!」と言っていた。混じりあった「がんばれ」の色の中で、その子達の声はハッキリ聞き取れるくらいひときわ輝いていた。

一生懸命、他の子を応援するために、自分の力の全霊を懸けて「がんばれー!!」と声を張り上げていた。

私は「頑張れ」という言葉にアレルギーにも似た苦手意識があった。あったのだが。

あの3人の子供達の「がんばれ」は、どうしようもないくらい愛おしくて好きだなと思った。

勝手に私自身にも応援して貰えたような気持ちになった。

素敵なプレゼントを貰った。

ありがとう子供達。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?