風に吹かれても
ふいに消えてしまいたくなる。
特別何か嫌なことがあるわけでも、しんどいわけでもないのに。どちらかというと最近毎日楽しいのに。どうしたんだろう。
自分の言葉や存在が、誰かの元気や励まし、憧れになることをたくさん知って、凄く嬉しい気持ちと自己肯定感が高まっている。
なのに、もう一人の自分が笑う。
その言葉は本物か?言葉ばかりで、中身は伴ってないんじゃないのか?外見ばかり装って、人にいいところばかり見せて、空っぽの自分を大層に見せるばかりじゃないか。
そんな奴になんの価値がある?
中身がないことなんて、蓋を開ければすぐわかる。
距離がある時は自分のことも相手のことも客観的に見れる。だから、相手のwantもわかるし自分ができることもわかる。
けれど、近づけば近づくほど、わからなくなる。相手の気持ちが見えてきすぎて、本質がわからなくなる。自分の気持ちばかり先行してしまう。仲良い人には自分の弱みをわかってほしいと思ってしまう。甘えてしまう。ダメな私も、私全部を受け入れてほしいと願ってしまう。それを求めるには早い段階で。重いよ私。
もっと孤独に強くならないと。
私らしさ。言葉。癒し。ユニーク。
そんな答えが返ってくるんだろうか。
何にも染まってないと思っていたけれど、いつの間にか水蒸気が集まって雲になるみたいに、私らしさというものにも形が出来ていたんだな。自分じゃ掴めない。そんなもんよ。
孤独に強くなりたいのは、そんな自分らしさに芯が欲しいから。竹のように、風に揺れてたわんで(決して跳ね返したりするのではなく、一度受け止めて流されるしなやかさ)、だけど決して折れない。まっすぐに、まっすぐに伸びる芯の強さ。
どうやったら、手に入れられる?
風に吹かれなきゃ、たわむ限界や流され方は学べない。折れそうになるくらい強風に吹かれて、そのとき初めて折れない踏ん張りを知るんじゃないか。
ああそうか、まだまだ辛いことを経験しないといけないのか。
伸びるためには一度膝を曲げないとな。
ジャンプできるチャンスを逃さないように、目と耳を凝らして。風を感じて。
春、桜が蕾をほころばせる瞬間の空気を感じ取るみたいに、静の間じっと耐えて、動の瞬間にぱっと開けるように。
日中の陽射しが変わってきた。空気が暖かい。
もうすぐだ。春はもうそこにいる。待ってくれている。わたしが飛び出してくるのを、春は待っている。もう少し。待ってて、今行く。
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