私は誰かの生きる希望になりたい
桜が咲いて、散って、葉桜になって、青々とした木々の下にネモフィラが咲いた。
結婚式が4回あって、単科の授業を3回受けた。
同期が会社を辞めて、友達が結婚して、甥っ子が生まれた。
住む場所、周りの人、時間配分。
人が変わるという3つ全てが変わった。
どんな自分でありたいか?
将来どんな自分になりたいか?
なぜか、複数の場面で質問が重なった。
結婚式に参列しながら考えたこともあった。
周りが変わりすぎて、変化について行くことに必死でなかなか言葉に出来なかった。
去年さんざん考えたはずなのに、もう分からなくなっている。
季節が変わってもまだわからない。けれど、去年から(多分ずっと前から)変わっていないことがある。
私は誰かの、生きる希望になりたい
アイドルが好きゆえなのだと思う。
自分もアイドルに救われてきたし、周りにもアイドルに救われてきた人を見てきた。
アイドルだけではなくて、サッカー選手だったり、漫画やアーティストや小説、色んなものに皆明日生きる希望をもらっていると話してくれた。
わたしもそんなふうになれたらいいなと思う
それが例えば友達にとって、次に会う約束の日なのだとしたら、会うのが楽しみになるような期待感と、また会いたいの充実感になればいい。
それが例えば家族にとって、年に数回の一緒に食卓を囲む時間なのだとしたら、健やかに笑える時間を少しでも多く持てるようにしたい。
それが例えば仕事になるなら、今は人事として会社の人にとっての救いの窓口でありたい。力をつけてもっとチャンスを作りたい。
私はドームを埋めるような人数の希望にはなれないけれど、直接手をさしのべられるくらいの人数と、その隣の人を照らせるくらいにはなれたらいいなと思う。
やっぱりどうしても、資本主義のビジネスゲームを面白いとは思えないけれど、それでも、この世界も悪くないと思う希望は失いたくない。
そのためには、知識をもって、考えて、形にするしかないらしい。言葉にすることも、成果を残すことも、やっぱり形にするまでやり遂げないと日の目を浴びて人に届けることはできないのだ。
生きる希望になりたいと願うから、わたしはこれからも言葉を紡ぐ。
その言葉が、誰かの支えになり、ほんの少しの変化をもたらすような力となるように。
私だから、伝えられる言葉がある人間になる。
今の私は宣言しか出来ないけれど、
それでも、この姿も、もう少し先まで頑張る理由になることを祈っている。
生きる希望になりたいなんて
仮初の生きる理由としては大きすぎる命題。
もう目前の夏と対峙するしかない。
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