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「便利さ」ではなく、「豊かさ」を生み出すデザインをしたい

この記事は🎄MIMIGURI Advent Calendar 2023の19日目の記事🎄です。

前回は田幡さんのWHYからは始まらない!? WHEREから始める探究論でした。
noteの執筆頻度が実質年に1本になっているとのことですが、そのエネルギーが存分に込められた壮大な内容で、このまま本にできるのではないかと思うくらい濃密な内容でした。ぜひ読んでみてくださいね!

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もう後半戦…!

さて、今年のAdvent Calendarのテーマ表はこちら…うーん、何を書こうか。

テーマを構えて書くというより、本文を書き終わったあとにつけるとしたらどんなテーマになるだろうか。
(と、つらつらと書いてみたら最終的に「遊び」のテーマに当てはまりそうなので、「遊び」ということにしておこう。)

MIMIGURI Advent calendar 2023のテーマ

わたしは、2023年2月にMIMIGURIへ入社した。
もう10ヶ月も経ったのか…あっという間であるし、まだまだな気もしている。

前職がそれなりに長く在籍したため、顔見知りの方々には、よく「なぜ、MIMIGURIへ?」と聞かれることが多いので、せっかくの機会だからそのあたりの話を書いてみたいと思う。



「教育」や「学習」という領域でデザインをしたかった

わたしは現在MIMIGURIが提供する自社事業である「CULTIBASE Lab」という学習サービスのプロダクトデザイナー 兼 事業責任者を担っている。

前職も事業会社のインハウスデザイナーとしてプロダクト開発でデザインをしており、ジャンルとしてはずっとコマース領域のサービスが担当であった。
改めて興味のある領域のデザインをしたいと考えたときに、自分にとって「教育」や「学習」という領域に真剣に取り組んでみたいという熱意が強かった。

故にMIMIGURIでやりたいことがマッチした、といえばそこまでなのだが、もう少しそこに繋がる話を続けてみる。


デザイナーを目指したきっかけ

これもよく聞かれる。そして、明確にきっかけがある。

大学生のときに図書館で読んだ本に原研哉さんのデザインが載っていた。「梅田病院」のサインデザインである。

https://www.ndc.co.jp/works/umedahospital-2015/ より引用

サインは汚れず無機質なものが一般的だが、敢えて白い布製の洗えるサインにしている。これは汚れを許容しているのではなく、汚れないように洗って白さを保つことで「清潔さ」を表現している。

このデザインを見たときに衝撃を受けて、「こんな仕事をしたい!」と決心したのである。

レンズを変えるデザイン

このサインを見ると、「毎日洗って交換している誰か」の営みが見えてくる。
同時に、一般的には冷たく感じる病院という空間に温かみも感じる。
それは布という性質だけではない。その先に人の営みがあるからこそ、感じる温かみが存在しているのだ。

サインという機能だけを考えると、情報を伝えられればいい。
しかし、そこに触れたり、近くで生活する人々の営みまでをも想像してデザインをしているのだろう。
そうすると、このサインをみた人はその病院の見え方が変わってくる。

眼差し…つまり、"レンズ"を変えるチカラがデザインにはあるのではないか。
このデザインを見たときにそんな可能性にワクワクしたものだ。

「便利さ」ではなく、「豊かさ」を生み出すデザインをしたい

「便利にする」デザインの価値は高い。むしろ、便利なデザインを求められるシーンのほうが多いだろう。

でも、わたしは便利なだけでなく「豊かさ」を生み出すデザインをしたい。

「豊か」とはなにか。だいそれたものではない。もっと日々の小さな積み重ねだと、わたしは思っている。
道を歩いていたら、昨日までは蕾だった花が咲いていて季節の変わり目を感じる…そんな些細なことの積み重ねで日常は豊かになっていく。

そして、些細なことに気づくには、「自分自身が日常をどう見ているか」というレンズに大きく左右されるとも思っている。レンズが変わると新たな事象に気づくことができ、他愛もない日常が豊かに見える(ときがある)のだ。


知識を得ることでレンズが変わる

「教育」や「学習」という領域をやりたいと思ったのは、このデザインに対する想いから通じている。

わたしにとって「学習する」という行為は、資格を得るためでも、スキルを得て出世するためでもない。そんな高尚な行為ではない。
ただ「知りたい」という知的好奇心で充分だと思っている。

ひとつ、自分の経験を紹介したい。

週末に美術館でアート鑑賞をするのが趣味だ。最初はただなんとなく絵を観ていた。「うまいなー」「色使いが綺麗だなー」とかそんな感想ぐらいしか浮かんでこなかった。

ある日、眺めるだけなのもなんだか勿体ない気がして、音声ガイドも借りてみた。
音声ガイドでは作品や作者の背景を解説してくれていた。
描かれた時代背景の知識をつけると、主題や使われている色の意味がわかり、まったく違った絵に観えてくる。

知識を得たことでその絵を観るレンズが変わったのである。

そこから、面白くなって、美術史の知識をちょっとずつ学んだりしている。
学んだことでなんの役に立つかはわからない。でも、知ることで見え方が変わる、そういう面白さが「学習する」という行為には存在しているのではないだろうか。

自分の働く職場の見え方が変わる知識

わたしが担当する「CULTIBASE Lab」での学習についても少し触れていきたい。

「CULTIBASE Lab」は主に人材組織開発領域の知を取り扱っている。
働くうえで全員必要な知識なのか?いつ役に立つの?と思われるかもしれない。

例えば、チーム間や組織間で対立が起き、空気が悪いとき。この人と話すのちょっとしんどいな、もう話したくないなという場面は誰しも訪れるだろう。

そんなときに、組織に関する理論的な知識を得たとしたら。

「あの人、言い方はキツイけど実は〇〇なところを大切に思っているのではないか」そんなレンズを獲得できたら、しんどい相手でも少し話しやすくなり、明日の打ち合わせの憂鬱さが減るかもしれない。
自分のチームの見え方を変えることができるかもしれない。

※例にあげてるような組織の対立にお困りの人へオススメのコンテンツはこちら

「人と組織の可能性を諦めない」

人と組織を諦めない。
数ヶ月前にロングミーティングをしたときに、Co-CEO安斎さんがポロッと言った言葉である(ご本人が言ったことを覚えているかは定かではないが。)
これを聞いたときにすぐさま紙にメモをして、いまだに残してある。

職場とは、すべての働く人に通じた場所だ。
「CULTIBASE Lab」を通して、あらゆる働く人々へ、知識を提供していくことで、少しずつでも普段の職場の見え方・レンズが変わり、過ごしやすくなる。
同じ職場に、知識を持つ人が増えれば、職場そのものも変容していき、受け入れやすい状態にもなるかもしれない。

これが、わたしがデザインしたい「豊かさ」である。


1日8時間かける「遊び」

なぜ、「遊び」というテーマにしたのか。最後にそこへの想いを書き記しておく。

仕事は1日のうちで、8時間。
「生きるために必要な行為」だと言うならそれまでだが、それにしても、ただ生きるためだけに8時間を過ごすのは正直つまらない。

何度も読み返した岡本太郎の書籍の一節にこのようなものがある。

ぼくはつくづく思うのだが、好奇心というのは、そのように生命を賭けて挑む行動に裏打ちされなければ、生きる感動としてひらかないのではないか。

だから、それはただの「お遊び」では駄目なのだ。全生命、全存在を賭けて、真剣に、猛烈に遊ぶのでなければ、生命は燃えあがらない。いのちがけの「遊び」と、甘えた「お遊び」とは、まったく違うのである。

今日は余暇社会などとも言われ、管理された日常の外に生きがいを求めようとする人が多くなっている。農作業でも、コンピューターの操作でも、強制された労働としてやれば苦役だが、自由な「遊び」として創造的に取り組む限り、それはよろこびだ。

岡本 太郎. 自分の中に毒を持て<新装版> (Japanese Edition) (p.36-37)

仕事とは1日8時間かける「本気」の遊びだとしたらどうだろうか。
なんだか、面白く感じられる。

わたしは1日8時間かけて「豊かさ」のデザインを探究するという、本気の遊びをしてみたい。

そして、叶うなら、知的好奇心の赴くままに生きていたい。


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明日は、クリエイティブな兄貴、田島一生さんの記事を予定しています(まさかの田島被り!)お楽しみに〜〜!


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