表に出す感情をコントロールし続ける「感情労働」で、無意識に疲弊していく 【とあるエッセイ #01】
「感情労働」という言葉はどこまで当たり前になっているのだろうか?
リモートワークも広がる昨今、様々な仕事スタイルがあるなかで、肉体的な負担に対する選択肢も同時に広がってきており、自分のスタイルに合わせてコントロールしやすくなってきた。
一方で、精神的な面は意外とコントロールしづらく、特にリモートワークのスタイルだと、相手とのオンラインコミュニケーションの適応難易度は上がっていて、意外とメンタルをやられてしまう人も少なくないのではないか。
実際に、わたしもコロナ化から、かれこれ4,5年ほどリモートワークをしている。やはり肉体的には楽になったし、自分の体力を考えると、完全出社に戻ることは難しいと感じる。
そして、その間にマネージャーや転職も経験し、肉体的な面よりも精神的な面の負担を感じることが増えた。
丸一日、ミーティングがあるため、たいてい昼休みは、溜まった連絡を返しながらご飯を食べる。それ以外の合間の休憩といえば、コーヒーを淹れたり、トイレに行ったり、それくらい。ちょっとだけ、気分転換に散歩に出れたら、良いほうだ。
そんな生活をしていると、1日の仕事の終わりには脳が擦り切れるような状態になり、パチっとスイッチが切れたようにベッドへ倒れ込んで仮眠を取らないと、夕飯にもありつけなくなってしまっていた。
そんなときに「マネージャーの感情労働」という記事を読み、「感情労働」という言葉を知った。
アメリカの社会学者アーリー・ホックシールド(Arlie Hochschild)が1983年に発表した『感情労働:仕事における感情の管理』という著書で提唱した概念とのことだ。
仕事において自分の感情をコントロールし、組織や顧客の期待に応じ、常に「あるべき」とされる感情で接することが求められることである。
提唱されていた当初は、時代的に主にサービス業や接客業の分野に対して言われていた概念であるが、昨今の職場でのメンタルヘルスへの注目や、オンラインでの仕事スタイルが増えている現代においては、社内外のコミュニケーションの難易度が上がり、業種に限らず、大なり小なり「感情労働」は起きているのではないか。
ホックシールドは、「表層演技」と「深層演技」の2つの側面で感情労働を分類している。
この定義を見ると、あまりにも思い当たる節がありすぎる。
例えば、定例ミーティングをするとき、重い空気にならないように笑顔をつくって声のトーンをあげる。そのときは、演技をして乗り切るが、終わったあとに一体なんだったのかという無力感に苛まれる。その表層との乖離がしんどくなると、自分の内面でも演技をし、自分自身にも嘘をついているような感覚になっていく。
そのようなストレスの積み重ねが、バーンアウト(燃え尽き症候群)につながっていく。
とはいえ、まったく感情労働をしない、というのはきっと難しい。だから、想像以上に「感情労働」が起きていないか、を自分自身に気遣っていくことは重要であろう。
もちろん、「感情労働」が積み重なる環境を変えていくことも1つの解決策である。
ただ共感性が強いタイプだと、どう環境を変えても感情労働はしやすい体質であり、わたし自身もどちらかというと共感性が強いタイプなので、そりゃもう無意識にやってしまっているときがある。
これはもう性質だと諦めて、対処法を考えていかねばならないと、周囲の人へ相談したり、色々調べていった結果、「コーピングによる感情の外在化」が有効なのではないか、と思っている。
外在化とは、内側に抱え込んだ感情や問題を自分のせいにするのではなく、客体化して外に出すことで心の負担を軽くすること、である。
もし、同じような悩みを抱えている方がいたら、外在化を意識してみると少し楽になるかもしれない。
今回のnoteでは長くなってしまったので、コーピングや外在化の試行錯誤は次のエッセイで書いてみようと思う。
今回のエッセイはPodcastで話した内容について、改めて補足的に書いています。
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