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マラウイで生活する中で思った、支援目的の認識の乖離🇲🇼
マラウイで生活をして、村の一員として生活をしてみて1ヶ月が経ちました。
日本にいるときでは考えられないくらいの数のマラウィアンと出会って、彼らの生活を知って一緒に体験して感情もどんどん動かされました。
その生活をして、村の方々と会話した中で思った「支援」のズレを投稿しようと思います。
本質的な目的がズレて伝わっているものがある
マラウイで生活をしながらもたくさんの「支援」を目の当たりにすることがあります。
物質的な支援を提供していたり、会社を立てて雇用を生んでいたり、学校を建てていたり。
10年前私が渡航していた時のメインの支援は「物質的支援」でとにかく「モノ」の支援が多かったように感じました。
そこから少し経つと、現地の人自身に力をつけて内発的に発展させるサポートをする支援がトレンドになってきました。
例えば「教育」の支援だったり「雇用」の支援だったりです。
マラウイの学校でも日本と同じように「算数」や「英語」などいわゆる5科目を学んでいると聞きました。
一方で、マラウイ人にとって5科目から連想するそれらを活用する将来像の選択肢が日本と比べてあまりにも狭く、これを学ぶために学校へ行くということが日常生活においての足しになることが親世代がイメージが湧きづらいという課題もありました。
学校に行く目的は給食が食べられることでいいの?
この課題に関しては、先進国も気付いていて多くの企業が支援をしているのが「給食」の支援です。
子どもたちのランチ1食分が出るなら学校へ子どもを送り出す家庭が多いことが理由とのことでしたが、それはその通りでした。
ランチ分の食費を学校が担保してくれるなら、子どもを学校へ行かせる親は多いです。
良いことだと思う一方で、私はその動線にも課題を感じました。
理由としては、現地の親世代の方と話していてもそのシステムが「子ども食堂」の役割から抜け出せていないと感じるからでした。
親が学校に行かせる目的って本当に「給食が食べれるから」で良いんだっけ?ということです。
学校に行く目的は「教育を受けさせるため」であれば、親世代が「それが学べるなら学校行ってきなさい」というようなものが学校には必要のように感じました。
村にいて思う今必要な教育は?
そんな中、村のママたちと会話をしていて思う今必要な教育は「商売」の教育です。
ママたちも「子どもお金が稼げるなら学校へ行かせる」と笑いながら語ってました。
ただこれは笑い話でありながら重要なことだと思います。
マラウイの産業は一次産業がメインで、個人商店を露店として野菜や果物を出している家庭がほとんどです。
個人商店の売上=その家の生活費となっています。
つまり、売れない時に「give me money」と他の人からお金を要求したりその日のおかずが少し少なかったりと、大きく生活に直結しています。
一次産業が広まったのもここ数年の話なのでまだまだ「モノの売り方」「仕入れ方」「集客」などなどどの家庭も手探りで行っています。
商売の中では「数学の要素」「語学の要素」「社会の要素」色んな要素が多角的に入っているので結果的に教育に結びつくと思いました。
子どもがモノの売り方を学校で学んで、家庭に活かして、生活費が賄えるようになるから、もっと学びたい子どもにお金を出せる。
だから親は子どもに学校へ行かせる。のように
「学校は必要なことが学べる場所である」という認知は現段階から必要なように感じました。