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彼シャツならぬ兄フーディー

 彼シャツに憧れがある。
 デートのときに彼が着てきた洋服が可愛くて、今度貸してよ、って言うのもいい。それでコーディネートを考えるのは楽しそうだ。彼とは全然違うテイストにして、こういう着方もできるよ、って言ってみたい。楽しかったからまた洋服貸してよ、とか。
 お泊りしたときに、部屋着としてさりげなく彼の洋服を渡されるのも最高だ。いざ着てみると短めのワンピースみたいになってしまって、改めて体格差を実感したらときめいてしまうかも。ダボダボだったね、なんて言って笑い合いたい。

 しかし彼氏はいないし、できそうな気配もない。妄想がふくらむばかりでどうしようもないから、兄に相談することにした。
 共用カレンダーをみると、兄はバイトでいないようだった。もうすぐ帰ってくるだろうとあたりを付け、玄関で待ち伏せする。会わずに一日を終えられるほど広い家ではないが、生活リズムの全く違う兄とはなかなか話す機会がないのだ。食事は一緒にとることもあるけれど、親のいる前で話すのはなんだか気恥ずかしいし。

 かちゃり、鍵の開く音がした。いよいよだ。
「おかえり!」
「ただいま」
 気だるげな兄は、わたしの珍しくハイテンションなおかえり、にも動じず、横を通り抜けようとしている。今日を逃したらいつになるかわからない。咄嗟に腕を掴んだ。
「なに」
「ねぇ、洋服貸してよ」
「なんで」
「彼シャツしてみたい」

 突飛な提案に兄は面食らったようだった。
「彼氏になったつもりないんだけど」
「彼女になったつもりもないです」
 こういうところは兄妹だなぁと思う。このひとの妹として生きて二十年弱、あまり話さずとも心は通じ合っている感覚。一般的にいえば、仲のいい兄妹なんだろうな。

 有無を言わさず兄を引っ張って、兄の部屋に上がり込んだ。クローゼットを開け、冬物の衣装ケースを漁る。
「着替えたいんだけど」
「いいよ着替えてて、みないから」
 はいはい、と浅い返事をして兄は部屋着に着替え始めた。
 わたしは目についた洋服をかたっぱしから広げ、あぁでもないこうでもないと思案する。この服は可愛いけど、わたしの持ってるスカートとは合わないとか。こっちの色味は好きだけど、なんかぴんとこない。普段部屋着しかみないから、洋服の好みが違うことには初めて気づいたかもしれない。

 着替えを済ませた兄が横から覗き込んできた。
「まだ?」
「うーん」
「もうよくない?」
「よくない」
 だって、彼シャツに相当するなにかをみつけないといけないのだ。これは自分に課したミッション。一回やってみないと、妄想が広がるだけで良し悪しすらわからない。

「お前はこれとか似合うと思うよ」
 ひょい、と手を伸ばして掴んだのは、淡いピンクのフーディー。
「かわいい」
 こんな可愛いの、兄が持ってると思わなかった。意外。なんかキャラじゃない。
「着てるのみたことない」
「あー。あげるよ」
「え、いいの」
「うん、たぶん着ないし」
「やった」
 ちょっと彼シャツとは違う気もするけど、不意のプレゼントは素直に嬉しいものだ。誕生日でもないのに、兄からプレゼントをもらうのは久しぶりのような気がする。

「着てみなよ」
「うん」
 部屋着として羽織っているパーカーを脱ぎ、上からフーディーを被る。あ、なんか兄の匂いだ。同じ柔軟剤を使っているのに、少し違う香り。無意識に嗅ぎなれているのか、落ち着くいい匂いだ。

 首を出してから両腕を出す。たごまった裾を伸ばして、あれ。
「ぴったりだ」
「あんま身長変わんないもんな」

 兄に相談したわたしが馬鹿だった!

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