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ぜんぶ君のせいだ

 坂を登ってくる彼女の姿が見えた。まただ。もう来なくていいって言ったのに。
「ねぇ、この前も言ったけどさ、」
「そーらーをこーえてーらららほーしーのかーなたー……」
「……それなんだっけ」
「ゆくぞーアトムー……。んふふーふーんふーふふー……」
「あぁ」

 彼女はいつみても機嫌がいい。いつもニコニコしていて、なんで僕のところに来るのか不思議なくらいだ。
 毎日のように来ては一方的に喋って帰っていく彼女は、僕の話を聞いた試しがない。出会った頃からずっとそうだった。いつだって振り回されるのは僕のほうで、彼女は輪の中心にいる。
「今日はテンション高いね」
「今日はなーんにもなかったよ。普通の日だった」
「じゃあ今日も、だ」

 彼女は鼻歌交じりに花瓶の花を取り替え始めた。僕はこんなに大きい声で鼻歌を歌うひとを他に知らない。ここはカラオケの店内ではないのだけれど、彼女にとっては世界中がカラオケなのかもしれない。うるさいなぁと思いつつも、妙に上手くて聞き惚れてしまう。僕はこの声が好きなんだ。

 慣れた手つきで花を取り替えた彼女は、小さく「よしっ」と呟いた。
「この花はなんていうの?」
「これはクリスマスローズ。かわいいでしょ」
「うん、かわいい」
「でも毒があるんだって」
「へぇ」
 可愛いものには毒があるなんて、ありがちな話だ。
 彼女だって見た目はかわいい方なのに、中身はまさに毒だと思う。自由奔放でひとを振り回すような奴は、大抵振り回される側のことなんか考えちゃいない。僕自身、好きで巻き込まれていたのかもしれないけれど。

「……もうすぐクリスマスだね」
「うん」
「……もう二年かぁ」
「今年は誰と過ごすの?」
「今年もひとりだよ」
 さっきまでとびきりの笑顔だったのに、じわじわと目に涙が溜まっていく。
「君のせいだ」
「……ごめん」
「ぜんぶ君のせいだ」


 二年前のクリスマス、僕たちはデートに行くはずだった。待ち合わせは午後五時。半年前から予約していたお洒落なレストランで早めに夕食をとって、イルミネーションを見る。恋人たちで混雑する街すら愛おしく思える日に、なるはずだった。

 しかし僕が彼女の前に現れることはなかった。
 不慮の事故。アクセルとブレーキを踏み違えたとか、そういう類いのありふれたものだ。歩道に突っ込んできた軽自動車は真っ赤に輝いていて、薄れゆく意識の中、クリスマスにぴったりな色だなぁなんて思っていたような気がする。
 運悪く車と壁の間に挟まれた僕は、クリスマスだというのに生死の境を彷徨っていた。

 彼女は今にも雪が降りそうな寒空の下で、何時間も待っていたらしい。そして彼女の携帯が鳴ったのは随分経ってからのことだった。
 彼女が病院に駆けつけた時には、もう僕は死んでいた。僕は泣き崩れる彼女を、もう触れられない彼女を、ずっと見ていた。


 彼女はあれからほぼ毎日僕のところに来る。見晴らしのいい丘の上の墓地。
 無理にでもつくった笑顔はいつしか板について、今では機嫌が良すぎるくらいだ。今日だって鼻歌を歌っていたし、もうどうにもならない僕とは釣り合わない。
 こうやって泣くくらいなら、来なくていいのに。

「もう二年も経つんだから泣かないでよ」
 彼女に何を言ったって届かないけれど。

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