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駅でばったり会った友人は、宗教2世だった



偶然の再会

 1カ月ほど前、駅で再会した小中時代の同級生A(仮称)。
 偶然の再会から「今度ご飯でも行こうよ」と誘われ彼女行きつけの店という寿司屋で積もる話をした。出された料理を「おいしい」と二人頬張りながら、他の同級生の話や、学生時代の思い出話をして近況を語り合う。
 そんなA、数カ月前に仕事で弁護士をつけなくてはならないほどのトラブルに遭い、それがきっかけで適応障害と診断されたという。気分が沈み、一時は体重が何キロも減ったらしいが、通っているお寺で話を聞いてもらい今はすっかり元気になっていると話す。

 そういえば、神奈川県の大磯町議会議員選挙で選挙漫遊をしていたとき、コミュニティスペースがある東光院というお寺に行ったことがあった。
 候補者の演説を撮影していた時、私の横で演説を聞いていた女性と話すことがあり、その方が通っているお寺を紹介してくれると言って連れていってもらったのだ。
 訝る気持ちも少し持ちながら訪れた東光院だが、入ってみると誰でも入れるフリースペースには机と椅子が並んでおり、そこに掛けて町の人が話に花を咲かせ賑わっている。そのフリースペースの壁には、仏教関連の書籍、雑誌、絵本などが並ぶ仏教図書館といったスペースも。また、ドリンクサーバーからお茶などの飲み物が自由に飲める。
 僧侶の方は、「(大磯町議選に)立候補されている方の、公約を守れるのかとか4年後とか8年後に向けてちゃんと考えなきゃいけない」と考え町議選でビラを集めていたらしく、その時私の配っていた「選挙漫遊師への道」というビラ(「候補者に会ったりビラをもらったりしたらシールを貼るので、いろんな人に会ってみてください」と呼びかけるビラを配っていた。)も受け取ってくれた一人であった。
 東光院では「暮らしの保健室」という生活相談ができる場を月二回、定期的に開くなどの活動もしており、その日は認知症の権威で保険医学の先生と住職の方が対談するイベントがあるということで準備に忙しそうだった。

 私が住んでいる近くにもそんなお寺のコミュニティがあったのかと思い関心を抱いて聞いていると、色々そのお寺のことを教えてくれた。
 そのお寺は真如苑といい、なんでも今私たちが受ける苦しみは先祖の縁からくるもので「接心」という修行などを通じてそれを断ち切るのだという。

「高校生のときに死ぬはずだった」

 「接心」とは、霊能者と呼ばれる人が先祖の霊を見て、そこから色々なことを教えてくれるものらしい。
 Aはいつかの接心で「高校生のときに死ぬはずだった」と言われたらしい。死ぬはずだったのだが、彼女が自転車を走らせているときに前カゴがいきなり取れて落ちたことがあったらしく、それが死の代わりになったと話していた。その因果も先祖の縁だそうで「いやー、びっくりしたよー!」とそれを「知った」時の心境をそう言っていた。

 話を聞いた時は、『何かを信じていると無関係な出来事を関連付けて因果関係を見出すものなのだろうか』と単純に考えていたが、今考えてみると「死ぬはずだった」というのは、かなりショッキングで強い言葉だ。
 もし自分が不安を抱えていたり気分が落ち込んでいたりするときに「あなたは死ぬはずだった」と言われ、それが教義にある何らかの方法で「見え」、その「因果」を説かれたら、衝撃で開いた心の隙間にするっとその信仰が入ってくることもあるのかもしれない。


 「霊能者っていって先祖の霊が見える人がいっぱいいて、良い人ばっかりだよ」
と私に教えてくれたAは 、小さい頃から母親が信者だったこともあり真如苑に通っていたそう。
 生活費を払ってくれない夫を殺すか、真如苑に入るか、という壮絶な2択で母親は入会。彼女の方はというと、幼い頃からお寺に通ってはいたが、寝ていることがほとんどで教義も信じていなかった。だが、大学受験や職場でのトラブルがあった苦しい時に救ってもらい、今は「青年会」に所属するなど活動に勤しんでいる様子だった。

 「最近は宗教に対していやがる人も多いから…」とも話すAから不謹慎にもネタのにおいを嗅ぎつけた私は興味深げに耳を傾けていると、彼女から「接心」を受けることを勧められた。

「とりあえず」のノリで入会を促される

 手際よく鞄から取り出された「精進願い」と書かれた真如苑の入会用紙、それを手に持ち「とりあえず書いちゃいなよ」と入会を促される。
 登録費用200円と月200円の入会金額、携帯していた入会用紙に、「とりあえず」という軽めの副詞、小学生の時から変わらない元気で明るい彼女。
 興味を持ちつつも突然の展開にかなり戸惑いながら、それでも、あまりよく知らない宗教団体に入会するという気にはなれず、「家に持ち帰って考えてみるよ」と返答。

 そのあと世間話も交えながら、Aは真如苑のパンフレットを私にくれ仏教用語(もしくは真如苑独自の用語かもしれない)を解説してくれたり、「歓喜」という施設を無料で利用させてもらったことなどに対する感謝の意を示すお布施を納める修行があること、それらのお金は赤十字などの団体に寄付されると教えてくれたり、また、各国に支部がある真如苑がハワイで行った灯篭流しの動画を見せてくれたりした。

 接心という聞きなれない修行や渡された入会用紙に疑念を抱きつつ、興味本位から今度ある真如苑の行事の見学に連れて行ってもらう約束をして、その日は別れた。

宗教か、カルトか

 「精進願い」の紙に、真如苑本部の写真が載ったポストカード、「おまもり」と書かれた手のひらサイズのカード。彼女からもらった、それらを手に「どうしたものか…」と思案した後、「真如苑」と検索エンジンで調べてみる。

 出てきた真如苑の公式サイトによると、仏教宗派のひとつである真言宗の寺で修行を受けた開祖、伊東真乗が、出家をせずとも誰もが仏道修行できる信仰の方法を体系化したのが真如苑のはじまり。お歓喜(感謝の意を持ちお布施をすること)、お救け(教えを伝道する)、ご奉仕(奉仕作業)や霊能者からアドバイスを受ける「接心」といった修行を通して自分を磨き幸福を得ていくことを目指すらしい。

 サイトの説明にザっと目を通し、それから、疑問に思っていた「真如苑 カルト」の文字を打ち込む。

 口コミを集めたサイトが出てきて
「さっきまで普通の人間だった友達が突然占い師になるっておかしいだろう」
(入信していた母や叔母と)「大喧嘩して(真如苑を)抜けました」
 また、別のサイトでは真如苑について「金銭感覚を失う」、「勝手に人の籍を宗教団体に入れる」などと紹介していた。

 誰がどうやって調べて書いたのかが定かではないインターネットの記事だったので、これらの情報を鵜呑みにして「真如苑」がどういう組織か決めつけることはできない。だが、
『彼女も宗教二世に含まれるのだろうか…』
その疑問は、頭の中で浮遊していた。

真如苑へ

 それから数日後、真如苑の見学に連れて行ってもらえることになり、A、Aの母親と共に3人で真如苑の伊東道場まで向かった。

 Aの母親はヒョウ柄の服を着て、サバサバしているが外交的で好感が持てるかんじがした。(数年前に通っていたピアノ教室の先生と見た目が似ていたから、好感を持ったというのもある。)
 Aの母親が運転する車の中では真如苑のことを解説しているらしいCDが流れていたが、世間話もしつつ、ほとんどは二人が私に対して真如苑に関することを話していたり 、教えてくれたりしていた。   
 これまで修行をしてどれだけ変わったか、修行中のエピソード(Aが修行中にウトウト寝ていた話など…)、これから行くところにはどんな人がいるか等々。

真如苑 伊東道場

 真如苑の駐車場がある場所から階段を上ると入口が見える。温泉に入っている地蔵の石像を横目に中に入ると右手に靴と荷物を入れるロッカー、左手に受付があった。
 「GUEST」と札が書かれたネックストラップをもらい、Aに施設を案内してもらう。
 受付近くにはラックがあり、入会書類やお布施の申込書と思われる書類、真如苑の公報、お歓喜を納めるために使うらしい色とりどりの封筒が並べられていた。
 御宝前とよばれる広間に行くとすでに数人の信者の方々が座っており、奥には涅槃や教祖の像、写真などが飾られている。

 施設内には広間だけではなく、袈裟などの法具(スタートセットという袈裟などのセットが1,000円ぐらいで販売されていた)や線香、教義を解説する「教えの礎 教導院様」と題した漫画本、書籍、お菓子やパンが売られている売店(売られている物品は「一如社が作ってるんだよ」とAが教えてくれた 。)、ごはんなどが食べられるフリースペース、接心などの修行を行う部屋(私がチラッと見た部屋は、奥に小さな台が置かれ、その上に教祖らの写真が飾ってあり、その他にはこれといって目立ったものがなかった。)があった。

 法要という行事が始まる前に、Aについて行きすれ違った人と軽く挨拶をしていく。
 その日は平日だったので比較的高齢の方が多く出席していたが、私たちと同年代で20代くらいの女性もいた。その女性と、弟さん、その弟さんの彼女と会うと、Aが私のことを「今日初めてで、(真如苑に)入るか迷ってるんです!」と紹介する。女性は「迷っていいんだよ~」と言い笑顔でうんうんと頷く。「若い人もいるんだよ」とAが言う通り金髪に髪を染めた男性や、彼女によるとゴスロリを着て来る方もいるらしかった。

 一通りの案内をしてもらうと御宝前に戻り、Aは接心を受けるための列に並んで、そして一旦広間から出て受付番号が書かれた紙をもらい、また広間に戻ってきた。

「誰も相手にしてくれないよ」 

 修行が始まるまでAとその母親二人に促されるまま、広間の後ろあたりに3人並んで座っていると、彼女の母親が彼女から私の今にいたる経緯を聞いたのか、私との世間話から何か考えたのか、私の現状を酷評し始める。

母親「今日もさA(友人)について行ってばっかりで、この子(私を指す)どうすんのかなぁって」「これから両親が死んだらどうするの」「はっきり言ってやばいよ」
私「…」
A「まぁ、まだ間に合うよ」
母親「いや間に合うっていうか、(真如苑に)入信する勇気もないんでしょ」
私「まぁ、ないですね…」
母親「(入信のための)用紙を持って帰るなんて聞いたことないよ」
「このままいくと30代40代になって社会で誰も相手にしてくれないよ」

 車の中で抱いた印象から打って変わって、突然お説教のようなことがなされている状況についていけず頭が混乱する。
 私は今、いわゆる「引きこもり状態」。選挙漫遊をして立候補者にインタビューをしたり、短期のバイトなどで外出はするが、鬱などもあり継続的にどこかに勤めることは、できておらず両親に経済的に依存している。
 他のみんなのように「ちゃんと」生きられないという負い目はここ半年間、波のように度々押し寄せてきていたから「働かざるもの食うべからず」と話す母親が私に言葉を失わせるのは赤子の手を捩じるより簡単だった。

 それでも、「このまま言われっぱなしは悔しすぎる」という思いはあった。
 社会的に自立できる人は、しっかり働いて、お金を稼いで、親孝行(この言葉も二人の口からよく出てきた)してといった定石のモデルには確かに価値があるし、社会を運営していくうえで有用だと思う。でも、そこからはみ出た私のような存在に×をつけて認めないような物言いには頷きたくない。

 だが、その時は何かを冷静に考えられる状態ではなく、闘争・逃走反応(ストレス刺激を受けたときに生じる反応)なのか視野が狭くなりうつむいた状態から頭が上に上がらない。
「逃げたい、今すぐ逃げるんだ」「でも、何か言い返さなければ、何か言い返すんだ。」
頭の中で言葉が流転し、何度も繰り返される。

私「それは…わからないじゃないですかっ!」

 「誰にも相手にされない」というAの母親からの言葉に向かって、やっとでた反駁にも満たないその一言。発した声はたぶん震えていた。
 少しの沈黙の後
母親「そうだよッ!よく言った」
と言葉が返ってくる。
え…?
母親「ちゃんと意思があるじゃん。煽ってよかった」
笑顔でそう言って私の膝を叩いたりする。
 煽ってよかった?訳が分からなかった。こらえていた涙がひき、頭がボーっとしていく。何が起こっているんだろう。
 「大丈夫…?」と私を気遣いながらも「こんなふうに厳しく言ってくれる人いないから」というA。
 母親にA自身の辛かった時の話を振られたときには、その時を思い出したのか真意はわからないが涙目になっていた。だが、そんなAの母親に同意するこの言葉にはどうしても頷けない。
 「初対面で自分の人生を決めつけることって、普通するだろうか。」
 そう思いながらも、自分に引け目があるから自責の感情にさいなまれる。しんどい。
 それから少しして、法要が始まった。

法要

 法要が始まるときには霊能者と呼ばれる人を含む信者の方たち80人ほどが御宝前に座り、左右に置かれたテレビ(修行が始まる前は、歓喜の流れを解説した映像が流れていた。)、真ん中に出されたプロジェクターに東京立川市の真如苑本部の会場のライブ配信映像が映され、そこでの進行に連なって読経などがされた。
 信者の方たちは、数珠と経本を手に読経し、時折三礼をする。あとで聞いたところ、読経は、経典を読む目、それを声に出す口、読経を聞く耳、それらを清めるために行うらしい。開祖や教祖、事務局の女性の真如苑に救われたというエピソードトークを聞き、全部で1時間ほどだったと思う。

 が、全く頭に入ってこなかった。Aの母親に言われた言葉と慣れない正座のせいで、頭と足がジリジリしていた。法要の最中、時折Aの母親は私に「足崩していいよ」と気遣う声をかけていた。

昼食

 法要が終わり、その後に接心修行に行ったAを受付近くで待つ。20分~30分ほどして修行を終えて戻ってきたAとフリースペースで昼食を食べることにした。
 他の真如苑の施設はご飯を買える売店などもあるらしいが、伊東道場は丸テーブルが4,5つと長机が置かれウォーターサーバーがあるというシンプルなつくり。昼食の時「ここいいですか」とAは今一緒に智龍学院という仏教の知識を学ぶ学校で勉強をしている50~60代くらいの女性に声を掛ける。「どうぞ」という声に従って席に着き、持ってきた弁当を食べる。
 その間にも周りの方に分け隔てなく声をかけ、私を紹介したり、笑顔で話したりしていくA。700mlのトマトジュースをゴクゴク飲んでいる彼女に「また飲んでるの?」と笑いながら声をかける人たち。なぜか事情はよくわからないが、体型を気にする人から声を掛けられ「やせ薬」の紹介などもしていた。

土下座

 昼食を終えると「いい場所あるから」と言われ、外の表門に連れて行ってもらう。「仲の良い高校生たちも連れてくるんだ」と言われた場所は、石が敷かれ、そこに木や小さな祠があり、ちょっとした庭園のようになっていた。表門側は、私たちが入って来た裏門とは違い施設に入るために階段を上る必要がなく、高齢の信者や子連れの方が車から出てすぐに施設に入り接心などを受けられるようになっているらしい。
 そんな説明と施設外の案内をしてくれた後、彼女は今日の接心修行で私のことを救うよう言われたと話した。
 A「(筆者に)本当に幸せになってほしい。一緒にやっていきたいから、お願い」
 そう言って彼女は、いきなり頭を下げ土下座をする。
 私「ちょっと何やってんの。やめてよ」
 突然の土下座に戸惑うよりも前に、私は失笑しながら彼女に歩み寄りそう言う。
 てか、なんでこんな状況になっているんだ。
 私「そんなことされても全然嬉しくないよ」

 Aは本心から私に「幸せになってほしい」と言う。
 土下座を解除させてから、「私は自分で幸せになれるから」と話をするが、彼女は「もっと幸せになってほしい」と中々譲ってくれない。

 母親の特別接心(一対一の接心)が終わるのを待つ間、施設内で「入りたくない理由は何?」と問われたり、「さっきの土下座もご先祖様がそうさせたんだと思う」「(接心などの修行を)一回やってみてからじゃないと」という話になったり。探り探りで私も考えを話していき、彼女も話に耳を傾けてくれるのだが、お互い暖簾に腕押しを続けるような感じ。

 帰る前、フリースペースにいた80、90代の女性から「私は宗教大好きだから」とクリスチャンから真如苑を信仰するようになったという話を聞いた。キリスト教と真如苑の違いについて聞くと、「こっち(真如苑)は、厳しい。あっち(キリスト教)はみんなでわいわいやっている。でも厳しい分たくさんお力をいただける」と答えてくれた。

怒りは灰色

 伊東道場から自宅近辺まで送ってもらった帰り際に「また誘うね」と笑顔で見送ってくれた彼女に、「うん」と返し手を振る。
 なぜか「あげるよ」と渡されたグングングルトを片手に家に着いた私は怒りと惨めさでいっぱいだった。
 今日知り合ったばかりの彼女の母親にいきなり非難され、それに黙って愛想笑いをしていた自分が惨めだった。土下座をしながら私の幸せを願い涙を流す友人に腹が立った。なにが起きているのか、よくわからなかった。

 
 その日は4~5時間ほどA、Aの母親と接して過ごしただけだから、そこで起きた出来事だけで真如苑全体を判断することは出来ない。

 Aは、食事に行ったお寿司屋さんで常連だったり、母親と車を買う相談をしていたりしたから、恐らくではあるが金銭的には困っていないと思う。「来週から仕事があるから」と言っていたから社会的に完全に断絶しているわけでもなさそうだし、真如苑での法要の最中もウトウトしていることが何度かあると聞いた(実際、私も見学していた法要の最中、霊能者と呼ばれる人たちが後ろにいたが彼女は私の横でウトウトしていた)から教則がそれほど厳しいわけでもないのかもしれない。
 でも、涙しながら私に頭をさげたことはどう捉えれば良いのだろう…。
 他者に対して、あそこまで前のめり、感情的になって自分と同じ信仰を持つよう訴えかけるのは、奇異に感じる。

 宗教2世問題としてよく挙げられる経済的・身体的虐待や人権侵害などの目立った事態は起こっていないのかもしれないが、全く問題がないということはないのかもしれない。
 
 これらはあくまで彼女と接したほんの少しの時間で観察して推測したものにすぎない。また、私自身がこの問題に精通しておらず、見学に行ったときの精神状態が不安定でもあったので上述したことはやはり憶測の域を出ない。だが、宗教の暗闇から牛を引き出すような白黒つかないグレー感を目の当たりにした気がした。 

宗教=…?

【宗教】安心・なぐさめ・幸福を得ようとして、神・仏などを信仰すること。(新選国語辞典第9版)

 何かを信じる気持ちが人を救いながら、人を盲目にもする。
 
 真如苑から帰ってきてそんなことを考えていた頭に、法要の時のあのジリジリした感覚がまだ焦げ付いているようだった。

後日談

 後日、町内を歩いていたところ、ばったりAに出会った。
 なんでも、カエルのストラップを毛糸で作って、真如苑の知り合いに配るそう。
 以前も、知り合いの信者で結婚する人や霊能者の人たちに気さくに声を掛けてはストラップを配っていた。今回は、もっとたくさん作って配るという。真如苑の子供たちから「作り方教えて」と頼まれたと楽しそうに話していた。
 真如苑での様子については、継主様(真如苑の指導者・伊藤真聰)の推しポイントをみんなで言い合い、くだらない話もしているらしい。

  その後も時々ラインに送られてくる彼女のメッセージには、真如苑での様子を楽し気に語る文字が連なっている。 

宗教2世とは

 私は当初、「宗教2世」を「カルト宗教、「特殊な考え方を排他的に信奉するグループ」(竹下節子著「カルトか宗教か」より)の2世」という定義で捉えていた。

 「宗教2世」という言葉は、安倍元首相の銃撃事件をきっかけとして広まり、親による信仰の強要、経済的・身体的自由の剥奪、閉鎖性などの「負のイメージ」が備わった言葉としてニュース報道などで見聞きしていたからだ。
 だが、真如苑の見学に行き宗教2世に関する本を事件から約2年経って初めて読んでみると、宗教2世は中立的な言葉として「特定の信仰・信念を持つ親・家族とその宗教的集団への帰属のもとで、その教えの影響を受けて育った子供世代」(塚田穂高/鈴木エイト/藤倉善郎編著「だから知ってほしい「宗教2世」問題」)と広く定義されていた。それは、宗教2世問題は単にカルトや信仰宗教だけでなく、仏教・キリスト教などの伝統宗教でも起こりうるからだ。

 周りを見てみると、私の祖父、祖父の弟である大叔父も、お寺の子で宗教2世に含まれる。

 私の祖父は、お寺に生まれたが学校の先生になると小さい頃から考えていたようで、教員になり中学校で体育と音楽を教えていた。数年前に亡くなった祖父のことで覚えているのは経を唱える声ではなく、祖母のピアノ伴奏で「荒城の月」を歌う声だ。

「親父には、寺に生まれたんだから(住職を)やらなくちゃならないっていう信念があった」

 教員になった祖父に代わって寺を継ぎ住職をやっていた大叔父に話を聞きに行くと、小さい頃から子供が後継者になることを親から当然視されていたことを語ってくれた。
 小さい頃は、寺の住職になることに対して反抗する気持ちがあった。曹洞宗が創立し仏教の教えを理念とする駒澤大学に進学したが、在学中から劇団に所属し演劇をやったり、教員免許を取って高校に就職が決まっていたりした。
 だが、
 「苦労して何代か続けて(お寺を)やってきてるから、やらなきゃいけない」
 と自分で強く思うようになり住職になったという。
 「生まれた子孫はやらざるを得ない」
 今は隠居の身だという大叔父。
 葬式や法事のときに経を唱えて式を取り仕切っている姿しか見ていなかったから、住職を「やりたくてやったわけじゃない」と思っていたとは想像だにしなかった。

 「宗教2世」という言葉に触れ視野を広げてみると、灯台下暗しで身内にも2世としていろいろな思いを抱えてきた人がいる。

 宗教2世は全員が信仰により苦悩しているわけではない。多様なかたちと人生がある。でも、それを理解しながら、苦悩を抱える人、助けを求めている人を見過ごさないようにしたい。


おまけー私の信仰

 私自身は、霊能者も霊も信じていないわけではなく、心霊映像集などを見て楽しんだり、墓参りに行けば亡くなった親族に「見守っていてください」と手を合わせたりする。だけれど、それで十分事足りていて、苦しみを脱するのに自分に憑いている霊について知りたいとは思わない。
 先祖の因縁で鬱になったわけではないし、選挙漫遊を始めたわけでもない。それは、周りの環境だとか経験してきたことの積み重ねの上で私が選んだものだと思う。

 平家物語の最初の一節「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり」にある「諸行無常」という仏教の考え方が好きで、不安な時はその一節を諳んじてみたり、「これもまた過ぎ去る」というイスラム教のスーフィーの逸話の題名をつぶやいたりする。テストの前には「エロイムエッサイム我は求め訴えたり」と唱え悪魔を呼び出し(「4月は君の嘘」は名作)、横断歩道の白線を踏まずに渡り切ったらこれから挑戦することはうまくいくと願掛けをする。
 そういう自分なりの「信仰」があるから、まぁ、今のところ接心修行などは必要としていないのだ。

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