狩野ATOKとえんびフライ

 Mが教科書を音読しに来る。狩野永徳と時々つぶやく。社会の教科書も音読するが、何でもないときにも狩野永徳は口から漏れていて、気に入っているようだがどう聞いても狩野ATOKなんだ、発音が。
 国語は盆土産がテスト範囲で、これも音読してくるので毎日聞いているのだが、どうしてもえびフライがえんびフライになってしまうのを姉に指摘されてウザいのくだりまでで音読は終わりで何日たってもえびフライを食べるあの名場面までたどり着かない。
 その音読を聞いていたLがそれはただえびフライを食べるだけのつまらない話だな、と言った。そして父は未だ帰省せず、えびフライを食べるあの名場面まで音読がたどり着かないことについて、しゃおっ、がいいのになぜそこを読まないのかと指摘した。
 妹はテスト範囲ではないからだと言った。
 いやな範囲の切り方だ。
 そしてきょうだいは言った。えびフライが食べたくなったと。その話はえびフライをただ食べるだけの話だ。国語の教科書にまさかえびフライを食べるだけの話が載っていてそんなことがあるんだと思った遠い中学生時代。えびフライへの期待、えびフライの旨さ、えびフライを食べた後の郷愁、次のえびフライへの期待。心情の変化が見事な名文だが、ただただえびフライの話で読んで終わり。それは内容に学びや主張はなくそんな文章が教科書に載っていいのか、という驚きであった。
 学びも主張もないのに長いこと日本の中学生の心をわしづかみにしてきたえんびフライはこれぞ名文である。
 これはいつ頃の話なのかとLに問うと昭和30年頃の話らしいよと予想外に明確な答えが返ってきた。Kが中学生の時はたった30年前の話だった。少年は今はもうじいさんだな、どのくらいのじいさんなんだろうとLは言った。昭和30年頃ならLの祖父がその年齢であんたのじいさんだ。つまりKの父親がその年代だ、父親の物語と思ったことはなかった。
 Mは狩野ATOKを覚えたそうだ。