『魔道祖師』 考察 藍湛の呟き⑤
日本語版原作第1巻~第4巻を何度も読み返して、いくつかの疑問が浮かび、もやもやをすっきりさせたいと考察+二次創作を書いてみた。疑問その①藍忘機はどの段階で恋に落ちたのか→『藍湛の呟き』疑問その②魏無羨にとって藍忘機はどんな存在だったのか→『魏嬰の独り言』疑問その③夷陵老祖となった魏無羨はなぜあんなに性格が変わってしまったのか→『夷陵老祖零す』と綴ってみた。創作のヒントになる原作の参照ページを記載。原作と合わせて読むのも面白いかも。あくまでもいちファンの願望として捉えて頂くと有難い。
考察
15歳で魏無羨と出会った藍忘機だが、魏嬰が姑蘇を離れたあとの一年半は、最も意味の深いものだったに違いない。
が、原作では彼の身辺におこった出来事や彼の心情に関わる事柄は何も語られていない。
魏無羨が金子軒と殴り合いをして雲沈不知処を去ってから不夜天での弓会での再会までの間、どのように自分の気持ちと向き合い何が彼の支えとなったのか?
藍忘機は閉ざされた厳格な雲沈不知処で粛々と育ち、それがわが道と信じて疑わなかった。人との関わりかたに奥手で、思ったことを表現することがままならない。
見た目の厳格さから近寄り難いと思われ、果てには正道の手本に祭り上げられ、輪をかけて一切の間違いも許されない立場へと追い込まれていたにちがいない。
それは未熟なわが身をさらけ出すことを封印し、同年代の友を作ることを阻みいっそう孤独へと追いやることになった。
彼にも人としての悩みや迷いがあっただろう。が、相談相手は兄、藍曦臣ぐらいだ。いくら兄が出来た人であったとしても、ほんの二歳ほどしか違わない。もっと大人の相談相手はいなかったのだろうか?
叔父藍啓仁は師匠の立場なので、俗物的な相談は憚れたであろうから、もっと身近で包容力のある存在がいたのではないか?
本来なら母のような立場の人物。
教養ではなく、生活の面での成長を見守る、そんな人物がいたと信じたい。
そして魏嬰によって知ってしまった数々の疑問に向き合うことになるのである。
友とは?愛とは?正義とは?人心の移ろいとは?
他人とかかわることで、思いやる心や慈しむ心、羨ましさが高じて妬む気持ちや抗えない嫉妬心を自覚して行く。
なぜ、こんな感情が起きるのか?彼の探究心に火がついただろう。
もともと勤勉で、わからないままにしておくことが出来ない性分のはずだ。
彼はまず、蔵書閣の膨大な書物にその答えを求めたにちがいない。
禁書室にはどんな本があるのだろう?
禁じるくらい『見てはいけない』『口にしてはいけない』『再現してはいけない』それは、裏を返せば暴かれてはいけない真実なのではないか?
彼は貪るように調べたにちがいない。
自分の感情のルーツを。
そもそも、藍家はどうしてそんなに厳格でなければいけなかったのか?
なぜ、三千もの家訓を岩に刻んでまで、感情を押さえ込み、粛清させられたのか?
それは、藍家の血筋が、人一倍激しい気性と強い霊力をもっていたからではないのか?ありのままの力が他を傷つけてしまうほどの制御し難い性分なのではなかったか?
だからこそ、抹額で自らを律し家訓を諳じることで暴走を抑えたのではないか。
その片鱗は藍忘機の怪力にも見られる。
そうだ、彼の中に流れる血がそうさせるのだ。
禁書閣には、藍家創始である藍安の公表されていない真実が眠っているのではないだろうか?
藍湛は叔父が隠そうとする、母の真実にも疑問をもってはいなかったか?
父が世間から隠し通した母。もしかしたら、母は魔道にかかわりがあったのではないか。叔父が他の成家の何倍も魔道に神経質だったのは裏を返せば『同じ轍を踏むな』と粛清していたからではないか。
封印されていた過去の真実を紐解いてゆく中で藍忘機は少年から青年へと成長してゆく。
そんな諸々のエピソードを自分勝手に二次創作してみた。
二次創作
抹額の秘密
夜。亥の刻が過ぎ、雲沈不知処全体が静寂に包まれている中、藍忘機は蔵書閣にいた。膨大な書物が並ぶ書棚の一角。
彼は不意にしゃがみ込むと、床の敷物をめくり、その下にある板を持ち上げた。板の下には隠し扉があり、そのさきには地下へと続く階段がある。
足元を行灯でてらしながら、藍忘機は慎重に降りてゆく。やがて石造りの地下室が現れた。禁書室だ。
一番奥の棚に古めかしい箱がひとつ。
箱には藍家象徴の芙蓉の花が彫りこまれている。おもむろに中から一冊の書を取り出す。
『姑蘇藍家創祖師伝承』
姑蘇藍家の開祖、藍安は実は生まれて初めての産声で、大きな岩を砕いてしまうほど、脅威の霊力を持っていた。更には感情の高ぶりで周りのものを傷つけるかともあり、何人もの家僕が犠牲になるほどだった。しかし能力は聡明で判断力に優れ、思いついた事は直ぐに実行しようとした。
我が子の目まぐるしい成長の早さに、喜びもあったと同時に畏怖さえ感じた母は思い悩み、玄奘僧侶に相談した。
玄奘は呪文を縫込んだ白い布で藍安の額を結んだ。すると波が退くように激情が失せてゆき、深い眠りに落ちた。
三日三晩の昏睡状態の後、静かに目覚めた藍安は生まれ変わったように穏やかになり、修練も学業も真面目に取り組んだ。物覚えも良く、身体能力も長けていて、物心ついた頃には読み書きのみならず経文もそらんじるまでに成長した。
しかし、母の理不尽な死を目の当たりにした時、悲しみのあまり抹額を引きちぎり激昂した。玄奘僧侶の力をもってしてもその凄まじい霊力は治まることがなかった。
だが、たったひとり彼の激情を納めることが出来た人物がいた。それは、修業のために藍家を離れ俗世の邪衆退治に奔走していた頃の藍安に初めて出来た知己であり、愛する我が君であった。
全てを破壊した後、呆然と立ち尽くす藍安の手を握り、霊力を送りながら彼の額に抹額を結んだ。
そして、清心音を奏で、藍安の心を癒し続けたのである。
《日本語版原作 第二巻 P149 下段》抹額が『自らを律する』役割となったのにはこのいきさつがあるのである。唯一外しても許されるのは心から愛する相手のみなのだ。
藍安が姑蘇藍家を開いたのは、自らの霊力に支配されず律することにより、修士としての能力を世のため人のために使える人々を育成したいとの考えからであった。
心意
「父上のお加減は?」藍忘機は姑蘇の森の奥座敷にある寒室をたずねた。
「これは二の若君。宗主はこのところ、とても良好でいらっしゃいます。若君がお目通りとはお喜びになりましょう。お取り次ぎいたします。」
白髪に豊かな髭を蓄え、物腰の柔らかなこの老翁は青蘅君の側近で、もう長い間父の身の回りの一切を担っていた。
母が亡くなってからほどなく、青蘅君は肺を煩い臥せっていた。嘗ては剣術も霊力も叔父にも勝るほどだったが、今となっては手合わせもかなわない。
彼は円形の窓辺で搨に座り、泰然とした穏やかな表情で揺れる木々を眺めていた。
「父上」
声をかけた忘機に、ゆっくりと振り向き柔和な微笑みを返して言った。
「よくきた。忘機。日々の勤勉さは聞こえている。啓仁の代わりに蘭室に出てくれているのだな。」
「はい、叔父上は清談会にて、温家への対応に備えておられます。」
「そうか。啓仁には苦労をかける。
温家の諸事情はここまでも聞こえている。その残忍なやり方には目に余るものがある。討伐した仙家への行いはひどすぎる。女子供にも容赦しない極悪非道だ。お前の母も温家に討伐された仙家の出だった。」
「母上が?」
「お前の母は代々、霊媒を司る仙家だった。その巫術には絶大な力があり、豊作の祈願から呪詛まで多岐に渡り、祈祷を頼るものが後を経たなかった。当時、まだ仙門としては中級だった温家の宗主(温若寒の父)は仙家統率を目論み、その巫術を利用しようと母の仙家を襲ったのだ。仙家の宗主は温家に蹂躙されることを危惧して母を逃がしたのだ。」
青蘅君は咳き込み、ヒューヒューと苦し気な、呼吸をくりかえす。
「……父上!」
絞り出すように語る父の背中を藍忘機はさすった。
その手をおもむろに制し、父は言葉を繋ぐ。
「大事ない。実は今日お前を呼んだのには訳がある。」
そう言って青蘅君は足元にある木箱を開けた。
中には香炉がひとつ。浅葱色の釉薬が美しい小ぶりの壺で、香を乗せる部分には躍動感溢れる鮎の形をしている。
「これは?母上の形見の品…。」
「この法器は母の宗家に代々伝わる宝器だ。」
「温氏はこれが姑蘇にあることを知っているのですか?」
「恐らく。温氏がやってくるのも時間の問題だろう。お前にこの法器を託す。何とか守りぬいてほしい。」
「心得ました。」
瘦せた父の手から、おもむろに宝器を受け取ると、藍忘機はそっと
幹魂袋に入れた。
今まで母については沈黙を貫いていた父の、最後の覚悟を察して背筋をのばした。
寒室をでた藍忘機に、老翁は語った。
「お父上は、夜狩りの途中で森でうずくまる母君を姑蘇にお連れになりました。
ひどい怪我の上に、温氏が放った凶悪な邪霊に憑かれていました。
宝器である香炉は、嗅いだものの隠れた感情をあぶりだします。
どんなものも嘘をつけないのです。温氏はその香炉をつかって人心をあやつろうとしました。
そして、宝器を奪うために母上を追い詰めたのです。
決して温氏の手に渡せなかった母君は逃亡の末、憔悴し、誰も信用できないくらい病んでいました。お父上は母君に心を寄せられ、妻にめとると宣言したのです。先代宗主は母君を許せず香炉を調べようとしたのです。
宝器の巫術は強力で、香炉に触れようとした先代宗主を殺めてしまったのです。」
「だから母を幽閉した…。」
「藍啓仁様は反対なさったのですが、お父上は母君を守るために、そうせざるを得なかったのです。」
藍忘機の脳裏に、母のはかなげな笑顔がうかぶ。
幼いころ、母の部屋でこの香炉を見たことがある。
時々、甘い香りをはなっていて、なぜかとても気持ちが安らいだ。
頑なな藍忘機が素直に母に甘えることができたのは香炉のおかげのような気がした。
「……母上。」
母が命を懸けて守ったもの。
何としても、温氏に渡してはならぬ。
藍忘機は幹魂袋をにぎりしめた。
遠くから不気味な烏の声が響いた。
心驰神往
__ 静室。
静寂の中。清く澄んだ音色が、雲深不知処に響き渡る。
藍忘機の白い指が、琴の弦をつま弾きながら躍る。
目を閉じ、まるで弦との会話をするようだ。
彼の脳裏に浮かぶのは一面に広がる蓮池。
一艘の船が蒼い葉をかき分けてはしり、船底には山盛りの花托が積まれている。船を操るのは黒い装束に紅い髪結びをひらめかせる少年。彼は船を波止場に着けると、そこに佇む優しげな少女に手を挙げてみせる。
「師姉」「阿羨」
両手いっぱいの蓮の花托を手渡しながら、少女の手を取り抱き寄せた。少女は彼の頭をぽんぽんと愛しげにたたくと良くやったとばかりに抱き締める。少年はこの上無く幸せそうな顔で少女の胸に顔を埋める。
「………つ!」
藍忘機は不意に指先に痛みを覚えた。ひとすじの血痕が切れた弦を濡らしている。目を開くと大きく肩で息をする。弦は心の乱れを忠実に伝えてくる。紅く染まる指先をじっと見つめ、左右にくびを振るとふっと肩を落とす。
そして、深く呼吸を整えると、ゆっくりと弦を張り替えた。
そして、再び弦をつま弾く。
その音調はどこか切なく、哀愁に満ち、それでいて雅やかで、遠く離れた想い人へ届けとばかりに蒼空を架ける。
その音色は円い窓の外を揺れる木々の葉擦れや小鳥達の囀ずりと調和して、聴くものの心を打つ。
一曲が終わり藍忘機はおもむろに弦から手をはなした。
「美しい旋律だ。新曲かな」
いつの間にか藍曦臣が、向かい側に座り、聞きいっていた。藍忘機が青蘅君の気性ならば、兄、藍曦臣の人の心を見透す力はまさしく母譲りであろう。が、それは母のように邪気には触れず、誰に対しても慈しむ優しさに溢れている。藍忘機が誰に対して憂いているのかは重々察しはついていた。
藍曦臣は懐から小さな青い瓶をとりだすと藍忘機の指先に軟膏を塗った。
魏無羨が蓮花塢へ引き揚げて一年半。
弟はますます他人との接触を避け、黙々と琴をひき、書を読み、修練に励んだ。今日は殊更に琴に没頭しているようだ。
「……兄上」
藍忘機は今の心を見透かされた気がして、そっと目を附せた。思いを振り切るように弦を弾くことに没頭していて、兄の気配にきづかなかったのだ。
「曲名は?」
「……まだです」
「そうか、楽しみだな」
藍忘機は兄の手元を見て聞いた。
「それは」
「うん、温氏からの招致、清談会の弓会だ。そして、これがその時のための礼服だ。一度袖を通しておくと良い」
《日本語版原作 P150 下段》
その袍は、目が覚めるほど紅く、首もとは丸襟で整えられ、袖口もきゅっと引き締まっている。藍忘機は巻雲紋の外衣を脱ぎ、袖を通した。
いつもなら冷たい氷雪の眼差しだが、 燃えるような紅が藍忘機の頬を照らし、 仄かな薄紅を掃いたように美しい。それはあたかも恥じらう乙女のようだ。藍曦臣は弟の変化に優しく微笑んで言った。
「忘機、とても良く似合っている。いつもと違ってとても優しくみえる。それとも…先ほどの曲のせいかな?」
兄の言葉に、一瞬目をみひらいた後俯き、掌を握りしめるとぼそりと呟いた。
「………違います。」
藍忘機は弓会への参加には気乗りがしなかった。だが、温氏からの招致に辞退は通らない。各生家は必ず成人前の仙門の血を継ぐ者を差し出さねばならない。当然江家にも招致は行っているだろう。江澄はもちろん魏無羨もやって来ることは解りきっていた。
(いったい、どんな顔をして会えば良いのか…)
金子軒と揉めたことで、江家と金家の許嫁は白紙にもどされ、結果として魏無羨の思惑通りになった。彼が江厭離を慕っているのは誰の目にも明らかだ。が、立場から見てその想いが叶う可能性は低い。誰よりも彼女の母が絶対に許さないだろう。この一件によって彼が前にもまして増祠堂に跪かされているという話しは雲沈不知処までも届いていた。
どれだけ想っても届くことのない心。
「俺は師姉には数えきれない恩義があるから、絶対に幸せになってもらう。」と魏無羨が蔵書閣で語っていた。
そこには自らの想いよりも、純粋に江厭離の将来を案じている気持ちが滲み出ていた。彼はいつも利他を優先する。まずは相手の利を鑑みる。
「幼い頃、毎日聞かされた母の言葉」が彼の一本通った筋道を作ったのだろう。なんて尊い人なのだろう。
そして、間違いなくそんな人となりがどうしょうもなく自分を惹き付けて止まないことに藍忘機は思い知らされるのだ。
____つづく