『バチェロレッテ3』をなんだかんだ観てしまう私と、観てよかったと思うこと。
なんだかんだ見てしまう、バチェラー・バチェロレッテシリーズ。
正直言って、「バチェラー・バチェロレッテシリーズ」を観るつもりはいつも、あまりないのだが(なんの予防線)今回もしっかりみてしまった。(ははは)
「ちょっとお昼休憩の時間だけ・・・」
「ドライヤーをしている時間ひまだし・・・」
と、なんとなく始めてみたら、もう止まらない。やはり、最後まで観てしまった。
しかし。
今回はなんだか上手くハマりきれなかった。
このシリーズ3、もはやネットやSNSでもいろんな意見が飛び交っているのだが、個人的にはちょっと違う目線で違和感を感じたので、そのことについて。
ハマりきれなかった違和感の正体
今回の「バチェロレッテ3」を観ていて、どこかしっくりこない感じがあった。
SNS界隈で騒がれているのが、登場人物に対する意見。
私がまず気になったのは、番組MCのコメンテーター側なのである。
そう、私はもともと男女逆バージョンのバチェラーにハマっていた身。
その面白さは、視聴者の声を率直に代弁してくれる、この盛り上がる気持ちをその場で痛快にコメントしてくれる番組MCの藤森とさっしーにもあると思っていたのだ。
そして、バチェロレッテは
といったところ。
このメンツで展開される今回のバチェロレッテ3、率直に言って、本音をむき出しにしているのが今田耕司さんくらいなのである。
そう、最近のSNSやメディアの影響で、MCが「いいことを言おうとする感」や姿勢、「周囲の意見を気にして振り切れていない感」がどうしても漂ってみえてしまうのだ。
視聴者としては、そのような表面的な姿勢に共感しにくく、本音が見えにくいと感じてしまう。
リアリティーショーが面白くなくなってしまう?
近年、SNS上での批判や情報の過剰供給が増え、その影響がリアリティショーにも反映されているように感じる。
コメンテーターや参加者たちは、批判を避けるために慎重に言葉を選び、結果として本音が見えにくくなってしまう。
そして、今回は参加者の男性陣にもそんなとこが見受けられたように感じる。
これが、イマイチ言動にも振り切り感がなかったり、恋愛リアリティーショーに視聴者が求めるような、現実離れしたドキドキ・ワクワク感や恋愛模様がみられなかった一因にも感じる。
このような状況では、視聴者が登場人物の内面や感情に共感するのが難しく、リアリティショーとしての魅力が半減してしまうように思うのだ。
バチェロレッテ3の参加者たち
今回のバチェロレッテである武井亜樹さんは、東大卒で元官僚というスーパーヒロインのような存在である。
そして彼女に挑む男性たちも、医師、経営者、アーティストなど、まるでスーパーヒーローの集団だった。
確かに彼らのバックグラウンドは興味深いものであるし、一般ピープルである視聴者にとっては夢のような事態だ。
例えば、ヴィオラ奏者の飯野和英さんが武井さんをイメージして作曲したオリジナル曲を披露するシーンや、元消防士の梅谷悠太郎さんが刺繍入りのエプロンをプレゼントするシーンなど、一見ロマンチックな場面も多々あった。
しかし、これらのシーンはどこか意外性に欠け、視聴者としては少しものたりなさを感じてしまった。
無理やりのこじつけかもしれないけれど…
しかし、こういった番組を観ることには、実はこのような時代の変化を読み取れるメリットもあると感じてもいる。(こじつけ①)
今の時代の人々の特徴や、自分の人生では到底触れることのできない人の視点や世界観、などを知ることができるのはいうまでもない。
リアリティーショーは、ある種の社会の縮図であり、多様な価値観や生き方に触れる良い機会である。(こじつけ②)
もちろん、これは無理やりのこじつけでしかないが、そう考えることで自分の時間の使い方に少しだけ納得感を持たせている。
では、また!