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『台所に人を入れたくない理由』に、ハッとした話。

90歳の祖母の家には、平日のお昼前に訪れることが多い。

玄関を開けると、昔から変わらない懐かしい香りがする。それと同時に

「トントントン…」

と台所で何かを準備している音が聞こえてくる。

台所に顔を見せると、祖母は決まって

「お客さんだから、ゆっくり座ってて」

と言って笑顔でお茶を出してくれる。

しかし、もう90歳の祖母。その孫である私にとっては、手伝うことはもはや当たり前の行動だ。

なにを呑気にくつろいでいるのだ、といった感じになってしまう。

台所仕事のお手伝いをしようとするたびに、祖母は

「大丈夫、大丈夫」

と笑顔でふわっと制止する。

その理由が気になり考えた結果、とあることにハッと気付かされた。


「お客さんだから座ってて」90歳の祖母の言葉の裏側

 祖父はかつて会社の重役を務めていた。
深夜に同僚や部下を引き連れて帰ってくることも日常茶飯事だったそう。

終電を逃した部下たちを引き連れて、自宅に泊まらせるという昭和ならではの流れがあったそうだ。朝起きたら「知らない男女」が自宅にいる光景に毎度驚いていたと、娘である母から聞いたことがある。

いろいろすごい。

祖母は、そんな客人をもてなす役割を長年務めてきた。
彼女の「おもてなし」は、ただものではない。

深夜にゾロゾロと自宅に訪問する男女の寝巻きと布団を用意し、朝食の和定食(ご飯、味噌汁、焼き魚…)を用意するのだ。

神。

 祖母の立ち振る舞いや心配りは、到底わたしにはマネできたものではない。

 気まぐれに私が祖母の自宅に遊びに行っても喜んでもてなしてくれるのは、長い経験から成り立っていたのだと納得する。

そんな祖母にとって、「台所に立つこと」は、自分自身の誇りであり、自分の居場所、テリトリーそのものだったのかもしれない。

しかし、90歳という年齢に伴い、次第に手先が震えたり、段取りが悪くなったりすることに、祖母自身、もどかしさを感じているように見えた。

鍋をふきこぼす場面も増え、何をするにも時間がかかるようになっていた。

火の始末を心配したり、手を切らないか心配になったり、ついあれこれ口や手を出しそうになってしまう私。

そんな私は対照的に段取りが良いほうだ(というか、雑なのだ)。

盛り付けや器にこだわりはないし、いつだって「時短、コスパ」を選んでしまう。だから、迷いがなく仕事が速いのだ。

しかし、祖母は違う。おもてなし精神満載の祖母は

女性のお客さんだから、このコーヒーカップで
色味が足りないから、器はこれで…
この野菜はこの切り方で…
山椒の葉がなっていたから、最後にこれを添えて

私と違う次元で「迷い」ながら作業をしている。その時間を自分のペースで楽しんでいるのだ。

そこに、気づいていなかった。気づける度量がなかったのだ。

手伝うことは、祖母の自信を削ぐことだった

「こんな年寄りの遅い仕事にはイライラするでしょう」

チャキチャキ仕事を進める私を横目に、祖母からこの一言を言われたとき、私は愕然とした。

よかれと思って手伝っていた台所仕事が、結果として祖母の自信を奪っていたことに気づいた瞬間だった。

自分が段取りよく祖母の仕事を「奪って」しまうことが、祖母のプライドを削ぎ落としてしまっていたのかもしれない。

それ以降、私は台所に立つ立場を改め、「弟子」としての姿勢を取るようにした。

皿洗いやゴミの片付けといった「裏方」に徹することにした。そして、祖母の手仕事を懸命に観察し、学ぶようにしている。

私一人では気づかない、祖母からの学び

祖母のゆっくりとした「ていねい」な仕事ぶりには、私が見逃していた

「優しさ」「温かさ」そして「美しさ」

があることにだんだん気付かされる。

わたし一人では到底学ぶことのできない大切なことを、祖母はいつも教えてくれる。

永遠の憧れの存在なのである。


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kaho|理学療法士・パラレルワーカー
最後まで読んでくださりありがとうございます^^! こんな感じでダイエット・美容からキャリアの話まで、ちょっとためになるようなお話をお伝えしていますので、また読みに来てくださいね❣️