他の誰にも教えられない、人生の深い学び。
「高齢者」というラベルが、どれほど無意味で人を一括りにしてしまうものか。年齢に縛られることの虚しさを教えてくれたのは、知人の80代の女性だった。
80代の彼女のその生き様は「高齢者」と一言で片付けられるものではない。
見た目の偏見が生み出す壮絶な過去と現実
「背骨が曲がっている」という見た目だけで、彼女は何度も差別や偏見を受けてきた。
いまでこそ、ルッキズム的な価値観に対して疑問を持つ人が増えてきている。しかし、もう何十年もの間、彼女の背骨や腰は曲がったままだ。
「この容姿だと…。ここでは働かないでほしい」
「こんな腰の曲がった人に、仕事なんてできるはずがない」
まるでその姿が彼女の能力すべてを語っているかのように見られてしまったことも多々あったという。
心無い言葉を投げつけられたことも少なくないと、言葉少なく、しかし目に涙を浮かべながら語ってくれた。
だが、腰が曲がっていようと、彼女の中には強い意志と誇りがあった。
現役のヘルパーを辞めない理由
腰の曲がりなど物ともせず、彼女は一人で20年近く生活し続け、80代を超えた今も現役のヘルパーとして働いている。
病状が落ち着き、体の調子が安定したのは50代後半。60代を目前にしてヘルパーの資格や介護福祉士の資格をとり、20年以上働き続けている。
週に4日バイクに乗り、雨の日も雪の日も関係なく利用者宅で掃除や買い物、その他身の回りの支援をこなす。
仕事が休みの日には、なんと友人と山登りや釣りに出かける。
なんなら今回、中国地方の田舎から関東の私の自宅まで一人でスーツケースを片手に会いにきてくれた。
彼女のエネルギーは、ただの「高齢者」のイメージでは片付けられないものだ。
背骨が曲がっていることで、彼女はこれまで幾度も誤解され、偏見に晒されてきた。しかし、そんな見た目の制約が彼女の生き方を決して縛ることはなかった。
彼女にとって、なにより大切なのは「どう生きるか」という意志だったのではないだろうか。
その人の物語を聞くと、見えてくるもの
彼女との会話を通じて得た、根本的な気付き。それは何より、
ということだ。
客観的に「80代女性」と見れば、後期高齢者だ。なんなら現代の日本人女性の平均寿命だって80代である。
それだけの事実で見てしまうと、
彼女は誰に何を言われても、我が道をいくタイプだ。
はたから見たら「頑固な高齢者」とみえてしまうであろう。
しかし、その意思は「頑固さ」だけでは片付けてはいけない。
もちろん、前提として病気を抱えていたり、脳の機能障害などがあれば、話は別である。しかし彼女の場合はそうではない。
そんな彼女を本当に支えるのは
と不用意に制限をするのではなく
という、本当に必要な情報やアクセスを確保し、彼女が気づかない具体的な対策を伝えることではないのだろうかと思った。
そして、困ったときの頼り先を確保することである。
そんな「年齢や見た目にとらわれて人を判断することの虚しさ」を改めて感じた出来事。
誰かを年齢や外見で区別するのではなく、その背後にある物語を知り、その人の生き様に目を向けるべきなのだと痛感した。
最後まで読んでくださりありがとうございます^^! こんな感じでダイエット・美容からキャリアの話まで、ちょっとためになるようなお話をお伝えしていますので、また読みに来てくださいね❣️