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場作りってなんだったのだろう。
人と人のつながり、場作り、ぬくもり。そういうものを頼りに大学では勉強を進めていた気がします。
私が過ごした時代の慶応義塾大学の総合政策学部では、場作りやコミュニケーションを重視して学んでいる人が多かった気がします。
場作りを学んでいるという人の話はとことん聞かせてもらった気がするし、バイトは深夜に回してとにかく場に足を運ぶ学生生活を送っていました。
コロナウイルスで外に出られなくなった今、場とは何だったのかということをとても考えさせられます。
もちろん、オンラインでの場作りもあって、それにも積極的に参加してみています。zoom飲みに、サークルの後輩はラジオをしてくれています。
今までとは違う自然体かつリラックスしたおうち時間で人と話せることも新鮮だし、話半分でもいい関係、こんな事態でも話したいと思える関係そういう人たちが結局オンラインでも繋がっていく人たちなのかもしれないと実感したりしています。
電話がおわった後のさみしさは、どうしたらいいんだろう。
人のぬくもりってもしかして、寝息だったのかもしれないと思います。場にあったのは、息、呼吸だったのかもしれません。
合唱部で歌を歌ってきたのもあるかもしれないけれど、人の呼吸がわかるというのはとても安心するし、息が合う喜びは何にも変えられません。オンラインで後から重ねるしかできない今、息を合わせて歌うことって、奇跡だったんだってわかります。
ゲストハウスで人の寝息を聞きながら安心して眠れたのも、奇跡だったんだってわかります。
人が笑う時、泣く時、その時の表情や呼吸を手に取るように味わえたことは奇跡だったんだって、思います。
息が会うこと、それが場作りだったのかもしれない。
音楽を作ってくれているカツオさんと早く息を合わせたい。ライブとかできちゃう時がきたら、会場の人たちと息を合わせる。オンラインじゃ物足りない理由は、きっと息だ。
そうやって、息を合わせられる奇跡を願って、
オンラインでだってできるだけ息を合わせて場を感じて幸せを味わえる工夫をしていこう。