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幸せであるセンス

北鎌倉に引っ越してきて2ヶ月くらいが経つ。この街で初めてできたお友達は、63歳、小さな可愛いカフェのオーナーさん。私はよくチーズケーキを食べに行く。

そのオーナーさんは、前のノートにも出てきたのですが、有料老人ホームで長いこと働いていたそうです。お金持ちのお年寄り相手の仕事をしていたそうです。

「お金があるからって、幸せなわけじゃないんですよね。でも時々いるんですよ、幸せな人って。そういう人って必ずよく笑うんです。日常の中に笑顔を見つけるセンスがあるんです。幸せになるのには、なんていうかそういうセンスが必要なんですよね〜。」





そうやって笑うオーナーさんはとても素敵に笑う。初めて会った時は、コロナの影響でテイクアウトだったけど、この街にこんなに笑顔が素敵な人がいたのかと驚いたことを思い出します。もちろん、そのときのこともちゃんと覚えていてくれました。




幸せになるセンスみたいなものはきっとあると思うけれど、いつから私はそういうものと向き合ってこなかっただろうとふと、寂しくなりました。寂しくなれてよかったけど。

私が今まで幸せであれたのは、感謝の気持ちで溢れるいい状態を保てていた時です。生きていること、地球、人、そういうレベル感でとんでもなく感謝できていた。とんでもなく笑顔で溢れた日々だったし、それこそ小さなこと笑えていたなと思うのです。




いつからか、忙しさでごまかして、感謝をする時間がなくなったな。いつからか、自分の時間が少しずつ減っていって、小さなことに感謝して微笑む時間がなくなっていったな。幸せであるセンスをすっかり忘れてきてしまていたけれど、お友達のオーナーさんの一言で思い出せた。とても、嬉しい。

明日は、太陽が暖かいことに感謝して、水が美味しいことに感謝して、ご飯が美味しいことに感謝して、そういう、当たり前に目を向けて、それが当たり前じゃなかった、旅人だった頃のことでも思い出しながら過ごそう。私は、世界一の幸せ者は、世界一の幸せ者であることをわかっていて、それを疑わず、いつも忘れない。

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