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人肌の毛布が掴む私の朝


タイトルは、実は俳句である。

一昨年くらいから、ある俳句団体に入っている。もう長いことそこで俳句を詠んでいる母に誘われて、まあ断る理由もないしいいか、と二つ返事で入会したのが始まりだ。愛媛県民にとって俳句は身近な存在である。私なんかは小学生のころ毎月俳句を詠む時間があったので特に慣れている方かもしれない。一度校内で2番目に良い俳句だと選ばれたこともある。あのときはテンションがあがったなあ。匿名の私の句を知らないままに褒めてくれていて、今すぐ私の句です!と手をあげたいぐらいだった。最近テレビでも拝見する機会の増えた夏井いつき先生に俳句を選んでいただいたこともある。これも、小学生のころ。そういえば表彰式が行なわれるホールのロビーで夏井先生が選句した句の良い点について説明されているビデオが延々と流れていて、自分の句が触れられるまでずっと観ていたことを今思い出した。他の句には具体的にどこが良かったとか仰っていたのに、私のだけ「これはもうね、良いですよね」的な感じでさらっと終わってしまってしょげたっけ。今ではむしろ光栄です。とにかく良かったんですよね、私の俳句。ありがとうございます。
話を戻すと、俳句団体で私がやることと言えば毎月1回集まって句会をするくらい。名前が伏せられたままの俳句を一通り見て、どの句が良かったか1人1人発表していき、自分の句が詠まれたならそれ私のやつですとすかさず言うのが句会。かなり大雑把だけどまあ要所はこんなものだろう。

私の実家で毎月行われる句会だが、実家は愛媛県にあるので直接参加はできていない。俳句の先生にLINEで俳句を提出しておいて、句会当日に代筆してもらっている。誰が私の俳句を選んでくれただとか、他の人がどんな句を詠んだだとかは全く分からないんだけど、あとから先生に手直しされた俳句や、誰かが私の俳句を選んでくれた形跡のある俳句がこれまたLINEで返ってくるから楽しい。具体的に聞いてないから予想の範囲で申し訳ないけれど、私以外の参加者は50代以降の方々だと思うので、多分私だけ俳句の毛色が違う。それでも選ばれていたりすると嬉しい。この世代の方にもヒットしたんだ、良かった、とにやりとしてしまう。それでも他の人の俳句に触れる機会がなかなか無いので、自分だけ進歩していないような気にもなる。いつも感覚で詠んでいるけど、皆はどんな感じで詠むのだろう。

ということで、せっかく毎月詠んでいるんだから、せめてここに残しておくことにしようと思う。拙いけれど、どうかお付き合いください。今回は急に先生に褒められはじめた昨年12月の俳句。



画像にしたのは、私が先生に提出して修正してもらった句だったり、それでも私が詠んだやつのほうがいいと思ってそのままにしてある句だったりを適当に6句。
普通は先生の修正の方が素敵に思うはずだ。この捻くれた性格治らないかな。

以下は提出した句。いくつか抜粋する。

年の暮れ赤の他人を装って
先生の直し無し。
どういう心境で詠んだかもう忘れてしまったけど、確か年末のJR芦屋駅周辺の人たちが忙しそうに歩いてるのを見て詠んだはずだ。赤の他人を装って、はただ言葉の響きがよかったから付けただけだと思う。こんな適当な詠み方をしているとバレたらやばい。誰にも言わないで。

マニキュアの欠けた親指冬紅葉
先生の直し:マニキュアの欠け親指冬紅葉
これはあれだ。自分で塗った真っ赤なマニキュアが欠けてしまって、それと冬紅葉の季語が色的に合うんじゃないと思って詠んだ。欠けし、より欠けたのほうがなんとなーくいいんじゃないかと思ってしまう。雰囲気的にね。

冬の雨向かいの傘を避けながら
先生の直し無し
これまたJR芦屋駅の下の傘を差しながらじゃすれ違うのも大変だった日のこと。それだけだ。

かき分けてゆく先々の冬の夜
先生の直し無し
私はどうやら上句と中句をくっつけて詠むのが好きらしいのだけど、きっと多分先生はあまり好きじゃない。それでもめげずに詠んでいきたい。夜ってすぐ過ぎちゃうよねっていう句。

人肌の毛布が掴む私の朝
先生の直し無し
これは結構気に入っている句だ。句会当日の朝、やばい俳句間に合わないとベッドの中で必死に考えていたときのやつ。この日は休日で、彼が先に起きて、私も起きたいんだけど彼が残した人肌の毛布が私自身と私の朝までも離してくれないのよっていう句。俳句、本当は句会1週間前には提出するっぽいんだけど、いっつも当日になってしまう。それでも短時間で直して句会に出してくれる先生には感謝しかない。

透明の陽が射す朝の冬紅葉
先生の直し:透明の陽射す朝の冬紅葉
これも当日の朝ベッドで急いで考えた句だ。冬の朝って寒いんだけど堪らなく好きで、なにがってあの透明な太陽の光。季節によって太陽の光って色だったり柔らかさが違ったりする。まだ私はベッドからさえも出られていないけど、今頃どこかの紅葉はこの透明な太陽光にあたって綺麗に澄んでいるんだろうなと想像して詠んだ。これは先生の直しの方が好きだ。

冬の朝鼻孔を抜ける氷点下
先生の直し無し
最後も当日ひたすら頭をフル回転して詠んだ句。だから朝という単語がよく詠まれている。単純だ。この日はいつもより寒くて息を吸うと氷点下の空気が私の体内を通って抜けていきました、という状況。こうやって文章にしてみるとしょうもない発想で悲しくなる。

とまあこんな感じで、情けないような俳句を毎月生み出している。これからもここに置いていきたいと思うのでよろしくお願いします。ところで今月の句会はいつかと母に尋ねたら来週の水曜日だと今返信がきました。なるほど、もう皆は先生に提出済みってことか。私は来週に入ってから取り組もうと思います。



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