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高校時代に実感した、僕の両親のすごさについて。

社会人になった今でも学問の道を歩み続け、今でも豆腐の研究をしているわけだが、
僕のこの行動理由の原体験の一つは、高校時代にあると思っている。
高校時代のことは一週間では書ききれないと思うので、今週は
親のすごさ」に焦点を当てて書こうと思う。

新潟県の山奥にある「新潟県立国際情報高校」という、新潟県の中では特色のある県立の高校に通っていた時代についてである。

地元から離れたかった中学時代

僕は小中学校までは、地元吉田町にある小学校・中学校に通っていた。
部活動では中学校の時から陸上部に入って長距離走を始め、なかなかにハードな練習も何とかこなしていた。
ただ、実力としてはビリから数えたほうが早いくらいのポンコツ選手で、自分たちの代の駅伝では県大会出場も果たすことができず悔しい結果を残してしまったのを強く覚えている。

勉強はというと、もともと勉強が好きだったということもあり家ではずっと勉強していたので、
学年の中では5科目合計でほとんど1位を取っていた。

ただ、勉強が好きだという人は周りにあまりいない環境で、勉強するのに後ろめたさを感じたくなかったので、もっといい環境で勉強したいと思って「国際情報高校」を受験することを決めた。

塾いらず、自然豊か、ただ遠い、山奥の高校

僕の選んだ国際情報高校は、南魚沼郡の「浦佐」という地区にある、創立20数年の比較的新しい高校である。
この高校は公立の高校であるにも関わらず教師陣のサポートがとにかく厚く、学習塾には全く通う必要がない高校で、
在校生のほとんどは勉強に前向きなので、自分がいくら勉強していても何も後ろ指さされることもない素晴らしい環境だった。
田植え、稲刈り、スキー合宿、海外研修などの行事も活発で、自然豊かな環境なので高校生活を送るには最高の環境である。

ただ一つ、難点を挙げるとしたら、ひたすら遠かった

僕の住んでいた燕市の吉田は、新潟県のほぼ中央の平地に位置するのだが、
高校のある浦佐はというと、南魚沼郡という南の山奥にあるのだ。
下のGoogle Mapを見てもらうとわかるかもしれないが、この移動距離は高校生にしては尋常じゃない距離だった。(85kmくらい)

親の偉大さを実感した「新幹線通学」

この通学距離であるが、僕はというと、3年間親に頼んで新幹線で通学させてもらった。
高校の寮に住むという選択肢もあったのだが、
・寮に住んだら月額8万円、新幹線通学であれば月額5万円の料金であること
・時間がありすぎてもだらけるだけという、自分自身の性格
から、新幹線で通わせてもらった。

町の豆腐屋の息子としてはあり得ないくらいの贅沢である。
しかも、その時は僕の姉も専門学校に通っていたので、その学費もある中で、である。

以前ブログに書いたように、豆腐の売り上げが厳しい月には両親の給料が支払われないこともしばしばあったのだが、
そんなとき、きっちり毎月僕と姉の学費・通学費を銀行の口座に預金している母親の姿を見て、
高額なお金を出してくれている親にはひたすら感謝しなければいけないなと思ったものである。

それでも、毎朝豆腐屋に顔を出して「おはよう!行ってきまーす!」と声をかけると、
元気よく父親母親から「行ってらっしゃい!!」と必ず声をかけられる。

両親とは偉大である。


社会人になった今でも僕が学問に携わり続けることができているのは、
偉大な親に支えられて高校時代に勉強・陸上に専念することができたからである。
僕自身は恵まれた環境だったと思う一方で、両親は厳しい環境の中で日々生きていたんだと思うと、身が引き締まる思いである。


案の定書ききれなかったので、来週は、こんな豆腐屋の一息子が京大の農学部に入るまでの3年間について書こうと思う。

p.s.
月一実験@嘉平豆腐店、継続中です。
4月は、『「おいしい!宝庫」に出店してそれだけ注文が来るのか?』です!また結果をお楽しみに。


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