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そういえば、豆腐のルーツって?

僕の実家の昔からの稼業であり僕自身の研究対象でもある「豆腐」、僕たちにとっては何気なく日常的に食べることが普通になっているが、実はすごく歴史の長い食べ物のうちの一つである。

豆腐の研究者の一人としては、豆腐がもともとどこから来た食べ物で、日本にどのようにしてやってきたのかを知っておくことは重要で、どこかで研究のヒントにもなるかもしれないので、今回はそういった豆腐のルーツについてまとめたいと思う。

豆腐はどこで誕生したのか?

答えは「中国」である。これは知っている人も多いのではないかと思う。

ただ、豆腐の歴史についての文献を調べていると、豆腐が誕生したのは「○○年!!」と断言することはできなさそうで、紀元前180年くらい(漢の時代)には発明されていたという説もあれば、それよりも前の秦の時代には農民がすでに発明していた、という説もある。
豆腐の発明者について調べていてよく出てくるのは「准南王劉安(B.C.179~122)」だが、この説が否定されているところまでよく目にする流れなので、実際には農民の間で知らない間に発明されていて、いつの間にか中国で豆腐が定着していた、的なことかなと思う。(これは個人的な見解)

ただ、「豆腐」という名前が付けられのが中国なのは間違いなく、この「腐」は、漢民族の間では「液相」と「固相」の間に位置する物質の状態と定義されていて、単純に腐っているという意味ではないとのこと。
さかのぼると、南北朝から唐の時代にかけて、中国に来た北方遊牧民族がもたらしたヨーグルト様の食べ物が、乳腐(Sufu)と呼ばれていたという記録があることからも、「豆から作られた半固体状の食べ物」という意味合いが一番しっくりくる。ちなみに、乳腐は楽天で普通に売っていたりする。

豆腐は日本にいつ来たのか?

そんなこんなで、紀元前から存在していたであろう豆腐が中国から日本にやってきたのは、奈良時代~平安時代というのが定説とされている。中国の唐の時代(618~907年)である。

豆腐が日本に上陸したルートは大きく分けて、奈良、沖縄、土佐の3つがあるといわれている。土佐ルートは1500年くらいと一番最近のルートで、豆腐職人が直接上陸したらしい。沖縄ルートは次に古く、今でも現地に定着している臭豆腐、豆腐よう、ゆし豆腐(豆腐の型に流し込む前のぽろぽろの豆腐)などがあり、中国から直輸入していた豆腐が現在まで定着していることがわかる。
奈良ルートは一番古く、奈良春日大社の文献(1183年)に「唐符」という記録が残っているのが、豆腐に関する日本で一番古い文献らしい。ここから、宇治を経て京都へ伝わり冷奴で食べられる文化が徐々に作られていったらしく、今でも京豆腐として親しまれる文化が醸成されたことが納得できる。
中国から来た豆腐はしっかりと絞られていて水分が少ない豆腐で、その文化は今でも石川県の堅豆腐や、高知県の一升豆腐にも残っているようである。(確かに、一年前中国の四川に行って火鍋を食べた時も、豆腐は凄く堅かったのを覚えている。)
そんな堅い豆腐が、京都の文化の中で柔らかい豆腐へと変化していったのだろう。僕が3年間修行した豆腐屋「久在屋」さんの食事処でお出しいただいた湯豆腐も、そういえば絹豆腐だった。

研究のヒントは多い

豆腐の構造や物性がヨーグルトに似ているというのは最近の先行研究で明らかになっているが、そもそも大昔の中国では「豆腐」という名前を付けるときにその共通点を見出していたということになる。もちろん、そこまで深く考えてのネーミングだったかどうかはわからないが、豆腐という名前一つとっても裏には相当な背景とヒントがあるということだと思う。

まして、京都という土地で豆腐の研究ができるというのは、何かすごく縁を感じるし、なかなかできない経験だなあと思った。(26週目終わり)


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