豆腐のルーツから考察する140年の意味
前回のブログでは、豆腐はもともと中国から日本に伝わってきた食べ物で、今では誰もが知っている「絹豆腐」は、京都を中心とした日本特有の文化の中で作られてきたと解説した。
日本独自の豆腐文化が作られていく中で、歴史の背景を色濃く表している要素の一つは、豆腐を固めるための「凝固剤」だ。
実家の嘉平豆腐店は140年の歴史を持つ豆腐屋だが、その140年の間には第一次世界大戦・第二次世界大戦があり、実は豆腐屋にとっても戦争の時代は豆腐作りの方向性が大きく変わった時代だったようだ。
今日は、豆腐を作るために必要不可欠な凝固剤に着目し、豆腐製造が今日に至るまでの一つの側面に着目しようと思う。
凝固剤とは
豆乳は、卵のような動物性たんぱく質のように加熱するだけで凝固するわけではなく、大豆タンパク質を凝固させるために二価の陽イオンを添加するか、あるいはpHを下げて(つまり酸性にして)凝固させる必要がある。つまり、凝固させるために添加する大豆の物質が「凝固剤」であり、凝固剤の存在なくして豆腐製造は実現しない。
凝固剤の種類
凝固剤の種類は本当に大きくざっくり分けると3つある。
①塩化マグネシウム(MgCl2・6H2O)
②硫酸カルシウム(CaSO4・2H2O)
③グルコノデルタラクトン(C6H10O6)
①の塩化マグネシウムは、俗にいう「にがり」で、豆腐が中国から伝わったときからずっと豆腐製造に使われてきた。この塩化マグネシウムは、もともとは海水に含まれている成分で、塩を生成するときの副産物のようなもの。
海水をそのまま脱水してミネラル分だけを残した後、そのミネラル分を湿度の高い環境に置いておくと、だんだん水分を吸って液体化する成分が出てくる(潮解性)のだが、その成分こそがにがりと呼ばれている。にがりの原液は非常にマグネシウムが濃縮されているのでものすごく苦く、摂取するにしても相当な量の水で希釈してから摂取する必要がある。ただ、このにがりで作った豆腐は、大豆本来のうまみ成分を引き出すことから、ものすごく美味しい豆腐になる。
実はこのにがり、マグネシウムを豊富に含んでいるということで、マグネシウムを主成分とした軽金属への加工に使われていた時代がある。その時代こそ戦時中で、航空機を構成するための軽量な金属であるマグネシウムはこの時代、にがりから採らざるを得なかった。そのため、日本の豆腐屋は戦時中、にがり以外の別の凝固剤を使う必要に迫られた。
そこで登場した凝固剤が、②の硫酸カルシウム(CaSO4・2H2O)、通称「すまし粉」だ。この成分の代表物で、おそらく一番イメージしやすいのが「石膏」で、真っ白な粉になっている。戦時中、にがりの調達が困難になった時代に主流になった凝固剤で、水にほとんど溶けない。つまり、にがりに比べて豆乳の固まるスピードが遅い特徴を持っているので、凝固の反応が始まる前に豆乳中に均一に混ぜることができる。また、すまし粉は多少入れすぎても豆腐の味に大きく影響しないので、添加量のコントロールが容易という側面もある。
にがり豆腐に比べて食感がつるっとした豆腐ができ、にがり豆腐よりも硬さのある豆腐にできることから、日本で絹豆腐が発達したのも、このすまし粉の普及によるところが大きい。
最後に、③のグルコノデルタラクトンは、②のすまし粉の弱点(水に溶けにくい)を克服した凝固剤で、凝固剤を豆乳中に溶かしてから温度を上げて固める「充填豆腐」に主に使われている凝固剤である。大豆タンパク質は、①や②の、イオンと結合して凝固する性質もあるし、それ以外にも、酸性になって凝固するという性質も持っている。グルコノデルタラクトンは、豆乳中に溶け、さらに過熱することによりグルコン酸に変化しpHを下げる。この過程で、豆乳は酸性になるので、凝固が進むということである。
カルシウムに比べて、さらにもう一段反応速度が遅いので、完成した豆腐はおそらく構造が最も安定していて壊れにくい性質を持っていると思われる。
凝固剤の変遷からみる歴史のすごさ
にがりが戦時中取得困難だったことから、その時代に豆腐屋さんは豆腐製造にかなり苦しんだだろう。
それでも、なんとか豆腐を作り続けるためにすまし粉を使って豆腐製造技術を発展させて今日まで文化を守り続けてきたことがわかる。
創業以来140年の歴史、と言葉でいうのは簡単だが、140年続けるまでに至った先人たちの努力を想像すると、生半可な覚悟ではやっていけないなと改めて思う今日この頃。(27週目おわり)