嘉平豆腐店7代目としての土台を作った、僕の故郷について。
新潟県燕市吉田。
ここは、嘉平豆腐店が140年間にわたり豆腐を作り続けたきた町であり、僕が26年前に生まれた町である。
僕はこの燕市という土地がすごく好きだし、さらに吉田に心から愛着を持っているのだが、「なんで故郷が好きなの?」と言われると、改めて言語化するのは難しい。
ただ、この町で18年間過ごしてきた時間が、京大農学研究科卒を出て急成長ITベンチャーで働く将来の豆腐屋である僕の土台を作ってきたことは間違いないので、今回は僕の愛する故郷について書いていこうと思う。
吉田町について。
旧:新潟県西蒲原郡吉田町。
2006年に、隣接する燕市・分水町と合併し、「燕市吉田」という地名になったが、今でも僕は「吉田町」で育ったという感覚が強い。
まず、燕市を一言でいうと、「職人の街」である。特筆すべきは金属加工産業だ。
新潟県の県央地区(三条市・燕市)は、日本を代表する金属加工産業地区なのだが、燕市のほうはステンレス製品の加工産業・洋食器の加工産業がものすごく活発である。
(以前、東京の職場近くのLOFTで実家に贈るためのプレゼントを探していたのだが、「これでビール飲んだら絶対美味いだろうな!」と思って手にとったタンブラーの製造元が、実は燕市のメーカーだったことがある。それくらい全国的にシェアがあるということだろう)
ちなみに、「燕三条駅」という新幹線の駅があるのだが、燕三条市という市は存在しない。
市町村合併の際に、燕市と三条市を合併する案が議題に上がったのだが、わずかに反対派の意見が多く、燕三条市の誕生は実現しなかった。個人的には、もし燕三条市になっていたとしたら、ここまで燕市が単体で有名にはならなかっただろうと思うので、ちょっと安心していたりする。
吉田町はというと、燕市の中心街ほど産業が活発なわけではなく、あちこちに広い田んぼが広がっている、非常に落ち着いている町である。
一言で言うなら、「ほどよく田舎」。
吉田には、ちゃんと「吉田駅」というJRの駅があって、ここはJR弥彦線とJR越後線の乗り換えの駅だったりするので、ここらへんでは中心駅となっている。高校時代は吉田駅に毎朝通い詰めだった。
吉田駅から正面に歩いて3分ほどの場所に、わりと広い商店街があるのだが、その商店街では、5日ごとに市が開催される。(今回のブログのトップ画像はその風景にしてみた。)
うちの豆腐店もその商店街にあるので、市日の時には必ず、果物屋さんで果物を買うのが昔からの習慣になっている。
僕がちょうど帰って仕事の手伝いをしていると、「兄ちゃん!もう戻ってきたんだかね!?」と声をかけられ、「うーーーん、もうちょっと後らね!」などという会話をしたりしている。
お年寄りの人口が多いことは否めないが、幼稚園・保育園~高校までは吉田町にあるので、意外と学生人口も多く、朝急いで自転車で登校する小学生や中学生をよく目にする。
頻繁に豆腐を買いに来てくれる父親の小学校時代の先生だったり、毎週土曜日に必ず豆腐を買いに来てくれる小学生の男の子もいたりして、すごく人と人が繋がっている町だなあ、と、故郷を出てから思う。
故郷の好きなところ
一言でまとめるのは難しいので、あえて吉田町の良さを言葉にしてみると、こんなところだろうか。
・田んぼが多い
・静か
・穏やかな人が多い
・空気がきれい
・弥彦、岩室など、自然豊かな観光地が近くにある
・新潟、長岡へ1時間ほどで行ける
・商店街にお店が揃っているので、暮らしには困らない
・大きな図書館、TSUTAYAがある
・治安がいい
自分自身、小さな頃は特に何も考えず、「うまい豆腐食べれて嬉しいなあ」くらいにしか思っていなかったが、こんな住みよい町だったからこそ、先代たちが140年も続けてきた豆腐屋を自分も継ぎたいと思うようになったのかもしれない。
p.s.
毎月、新しい取り組みとして、「月一実験@嘉平豆腐店」をやっていこうと思います。
実験といっても、本当に小さな取り組みをやってみて、その結果を振り返るだけです。
4月は、
「おいしい!宝庫」に出店してどれだけ注文が来るのか?
(https://www.oec-hoko.com/smp/item/G045.html)
を実験します。最初からだいぶ大きい取り組みですが、今後はもう少し小さい検証にしていこうと思います。笑
また、結果をお楽しみに。(4週目終わり)