4歳児の入れ歯
娘は、4歳の時に上の前歯を折ってしまった。もちろん乳歯だ。
私が壁側のキッチンで夕飯の支度をしている最中に、事故は起きた。
娘の火が付いたような泣き声は、もともと声が大きい上にさらに輪をかけた絶叫と思えるものだった。何事かと振り向く私の目に入ってきたのは、顔から床に落ちている娘の姿だった。どうやらソファに座りおもちゃで遊んでいたとき、それが床に落ち、座ったまま取ろうと手を伸ばしバランスを崩したようだ。
抱き上げ顔を見ると、口の中も周りも血の海、私の方は逆に血の気が引く思いだった。時間は18時少し前。そろそろどこの歯科医院も診療終了の時間だ。すがる思いで近隣の歯科医院に電話をかけまくり、受け入れてくれるところを探し当てる。妊娠中であることも忘れ、娘を抱え上げるとすぐに歯科医院へ向かう。
まだ歯は完全に脱落してはいなかった。少しでも触れようものなら落ちてきそうだが、必死に歯茎にしがみついているような感じだった。「ああ、どうにか歯よ、頑張ってほしい」との願いもむなしく、診察室に入るとあろうことか歯科医は、そのかろうじてぶら下がっているものを歯茎からすっきり(?)取り去ってしまった。
私の緊張感はプツッと途切れ、一気に母としての罪悪感が、身体全体を覆いつくした。大きくなったおなかにもまんべんなく。娘への申し訳なさと自分の情けなさとが入り混じって、涙となって頬をつたう。
こどもが大きくなって社会へ巣立つその日まで、安全に育てあげることが親としての役目だと信じて疑わなかった私自身に、汚点がつけられたような気分だったのかもしれない。
母親はよくこどもに何かがあると、「私が、ちゃんと生んであげられなかったから。私が、ちゃんと教育しなかったから。」と言って自分を責めがちだ。出産、育児を通して、自己評価と他者評価がいつもつきまとっているのだと思う。
「気をつけて見てあげないとね。」「痛かっただろうね。」「かわいそうだったね。」といった周囲からの注意喚起や慰めのような言葉も、母親を苦しめる。
翌日、ママ友から紹介された歯科医院に向かう。そこは小児歯科を専門とする大学病院医師が、週に1回勤務する歯科医院だった。そこで、小児義歯をすぐに作り装着することを勧められる。
永久歯が生えるまで、歯がなくなったスペースを放っておくと、その両脇の歯がスペースを埋めようとして全体の歯並びが悪くなってしまうこと、そのスペースから空気が漏れて発音が悪くなることなど、丁寧な説明を受ける。
そうして出来上がってきた小児義歯は、小さな口にすっぽりおさまるかわいらしいもので、子ども向けにライチュウのシールが貼ってあった。とはいえ、入れ歯は入れ歯。
保育園で、入れ歯を見たほかの園児からいじめられはしないか、との心配をよそに、周囲の反応は意外なものだった。
給食やお昼寝の時間の入れ歯使用は危険なので、歯科医よりはずすよう言われていたため、娘はみんなの前で堂々と着脱をしたらしい。
「歯をはずせるんだね。いいな~。ぼくにもかしてほしい。」
「わたしのだからダメだよ。」
と、なんとも無邪気な会話だったとのこと。
そこには、親の評価なんてない。
あるのは、親として評価されることをずっと気にしていた私の浅はかなプライドだけだ。
4歳で、口の中に入れ歯を装着していた娘は、30歳を目前に再び口の中にマウスピース型矯正装置を入れている。
事故の影響があったのかどうか、それはわからない。
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