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明治天皇についての、ハワイの昔の新聞(ハワイ語で書かれた記事)

学校でお世話になっているハワイ語の先生(日系のハワイの人)から、「もし昔のハワイ語の新聞を読みなおすなら、日本に関連する記事から探してみるといいよ。カラーカウア王と明治天皇の謁見とか」と言ってくれました。

自分の文化に関することだと理解しやすいので、これから日本関係の記事を中心に、探して読んでみていくと思います!

(「ハワイ語で書かれた、ハワイの昔の新聞記事について投稿していく詳細は、こちらに書いています。)

(記事に関係なく…6月かぁ~と思ってアジサイ)

今回、「カラーカウア王とも関わりのあった、明治天皇について検索してみよう!」と、昔のハワイ語の新聞を保存しているサイトで、明治天皇のお名前である「Mutsuhito」で検索してみました。

翻訳するのに、長すぎる記事はハードルが高いので、程よい長さの記事を選びました。

そして読み進めたところ、明治天皇の崩御の記事だったので…「あぁ、最初に崩御の記事を選んでしまった…」と思いましたが…。

しかし、このハワイ語の記事の中に「青山」「(伏見)桃山(陵)」などの場所の名前も出ていて、それが1900年代のハワイの人たちに新聞を通して伝わっていたのかと思うと、興味深く感じました(でも「桃山」は、新聞記事内では誤字で「Monoyama」…と書かれていたけども。)

では、記事そのもののタイピングと、ハワイ語で読むための再タイピング、そして英訳・日本語訳を書きます!
(今回、英訳を挟まないほうが、翻訳しやすい気がしました。独特の日本語の使い方、英語では当てはまらないところもあり、そのあたりの整合性はちぐはぐになっています。悪しからず…)

元の新聞記事(引用元)は、コチラです。
Ka Nupepa Kuokoa, Volume XLVIII, Number 39, 27 September 1912 — HE MAU KAUKANI KANAKA MA KA HUAKAI HOOLEWA [ARTICLE]

HE MAU KAUKANI KANAKA MA KA HUAKAI HOOLEWA — Ka Nupepa Kuokoa 27 September 1912 — Hawaiian Newspapers Collection (papakilodatabase.com)

新聞の名前は「Ka Nupepa Kuokoa (Ka Nūpepa Kūʻokoʻa)」で、1912年9月27日に発行された新聞からの記事です。

(その新聞の、その日のトップページの画像です。)


(こちらは今回、引用した記事の部分。)

<新聞記事に書かれている文>
HE MAU KAUKANI KANAKA MA KA HUAKAI HOOLEWA

TOKIO. Sept. 13. - O ka mahele elua o na hana e pili ana me ka huakai hoolewa o ka Emepera Mutsuhito o Iapana i make, ua malama ia ma ka po nei i ka wa i hoomaka ai ka hapaiia ana o ka pahu kupapau no ka lawe ana i Aoyama a mailaila lkoa aku e laweia ai no Monoyama no ke kanuia ana. He mau haneri kaukani o na kanaka e ku ana ma hai o ke alanui me ka hamau i ka wa i hoolewaia ae ai ke kino kupapau o ka Emepera, a no na hora elua ke ku ana o ka ahakanaka pela ma kela ame keia aoao o ke alanui. He ku i ka eehia ke anaina hoolewa. Ua pau mua i ka hoomakaukauia ka huakai hoolewa i ke ao e na hina aupuni.

<タイピングし直したもの※「Kahakō カハコー」「ʻOkina オキナ」あり>
HE MAU KAUKANI KĀNAKA MA KA HUAKAʻI HOʻOLEWA

TOKIO. Sept. 13. - ʻO ka māhele ʻelua o nā hana e pili ana me ka huakaʻi hoʻolewa o ka ʻEmepera Mutsuhito o Iāpana i make, ua mālama ʻia ma ka pō nei i ka wā i hoʻomaka ai ka hāpai ʻia ʻana o ka pahu kupapaʻu no ka lawe ʻana i Aoyama a mai laila loa aku e lawe ʻia ai no Monoyama [Momoyama] no ke kanu ʻia ʻana. He mau haneri [haneli] kaukani o nā kānaka e kū ana ma hai o ke alanui me ka hāmau i ka wā i hoʻolewa ʻia aʻe ai ke kino kupapaʻu o ka ʻEmepera, a no nā hora [hola] ʻelua ke kū ʻana o ka ʻaha kanaka pēlā ma kēlā a me kēia ʻaoʻao o ke alanui. He kū i ka ʻeʻehia ke anaina hoʻolewa. Ua pau mua i ka hoʻomākaukau ʻia ka huakaʻi hoʻolewa i ke ao e nā hina aupuni.

<英訳(私なりの)>
There are many people [over thousands of people] on the journey to the funeral.

Tokyo. September. 13. - The second part of several ceremonies relates to the journey to the funeral of the death of Emperor Mutsuhito in Japan, at night time, when it is ready for bringing the coffin to Aoyama, and from there it will be taken to Momoyama for being buried. There are [were] many standing people [over thousands of people] who offer [sacrifice] in the street with being quiet while the funeral for the Emperor’s body and for two hours the group of people stands in that way at this side and that side [here and there] of the street. The audience [people] stand in awe of the funeral. The processes of the funeral were already prepared for the day by the government.

<日本語訳(私なりの)>
記事タイトル:何千人もの人々が葬儀(旅路)に参列

東京 9月13日
睦仁天皇(明治天皇)の崩御に関する天皇の第2の葬儀について、大喪の礼が執り行われました(直訳:その御棺を青山に運ぶための準備が整った夜)、そして、その場所(青山)から桃山(訳注:伏見桃山陵)に埋葬するため、御棺が運ばれました。天皇の御棺が運ばれる葬儀の間、何千人もの人々が、哀悼の意をこめて静かに路地に立ち、そして2時間の間、そういった人々の群れはそのような様子で、あちこちの道の上に立ち続けました。人々は、畏怖と共に、葬儀のために立っていました。葬儀(旅路)への準備は、喪に服した政府によって準備が執り行われました。

ところで、今回のハワイ語の新聞の中に書かれている単語で、「ʻEmepera」という単語があるのを見つけましたか?

この単語を、そのままローマ字読みで声に出してみると「エメペラ」です
(ハワイ語で読むときも、そう読みます)。

音が英語の「Emperor エンペラー(皇帝/天皇)」と、ほぼ同じですよね。

ハワイ語は、ハワイ語に当てはまらない外来の言葉を、ハワイ語に近い発音になるように表記を少し変えたり…があります。

それでは、A hui hou!


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kahale uchi
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