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29歳の課外活動
11月5日(日)
ヨガの先生が主催した「ビーチクリーン&サットサンガ」のイベントに参加してきました。
予想を遥かに超えた体験が、今日の私を元気にしてくれている。
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ビーチクリーン、鹿島神宮、サットサンガのプログラムに、何となく惹きつけられ、行動までした自分good job!
自分で感じた気持ちが得られたから、充実した日だったのかもしれない。
ビーチクリーン
私にとって海は、馴染みのない場所。さらに泳げないし、日焼けするのも嫌なので行くことがゼロに近い存在だった。
ただ海に憧れていたから、ビーチクリーンに積極的だったのかもしれない。今回は茨城県の「下津海水浴場」でヨガの先生と仲間とビーチクリーンを1時間行った。
波の音、潮風、砂の上を歩く感覚は、この上なき幸せ。気持ち良い!
ゴミは、1時間で1人2袋くらいの量。私は「マイクロプラスチック(5m以下の小さなプラスチック)」の存在を初めて見た。
「こんなにもある?」
「拾っても拾ってもキリないやん」
「おいおいおい!」と心の中でボヤいていた。
先生曰く、人間が出したゴミ→魚が食べる→人間も食べるという悪循環で双方に害を与えるとのこと。
1時間の作業が海を救うとは言えないけど、微量でも救えた事実はあるはず。
海に精通していないからと言う無知と無責任さが、情けなくも感じた後味を残した。
このイベントを通して、知るキッカケになった。何でもキッカケが大事だ。
鹿島神宮
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ビーチクリーン後、鹿島神宮に参拝をした。
そこで、またまた私の無知さを痛感した。
京都生まれ、育ちだが、神社やお寺、歴史に詳しくない。
神社とお寺の違いも知らないし、参拝の仕方も知らない。
鹿島神宮は関東最大級のパワースポットだとは調べたけども、何がそんな凄いのかを知らない人物が参拝に来てしまった。
幸い、ヨガの先生のお母様が、神社に詳しいから手厚くフォローしてくれた。このルートの参拝方法が良いよ!やこの場所で呼吸しよ!など。
金魚の糞のように着いて行ったのでやり過ごしたものの、やっぱり無知は恥ずかしい。
今度は、「もう少し勉強してからまた来たい」なんて思う、おこがましい私。
サットサンガ
鹿島神宮近辺のレストランで、ランチ兼サットサンガを行った。
サットサンガとは、サットサンガとは、サンスクリット語でサット(真理、純粋なもの)サンガ(集まり、同席)を意味します。クラスに集まった人たちがヨガをすることはすでにサットサンガですし、何か自分自身のこと、いま気になっていること、自分の弱い部分、悩みや悲しみなどを話して、負の感情を解放をしていく行為もサットサンガの方法のひとつです。
家族や友達には恐縮してしまう話を、躊躇なく話せた。個々の育った環境、世代、性格が違う仲間のお話やアドバイスが、素直に心に入ってきた。
素直に相手の話を聞けたのは、一緒にビーチクリーンや参拝したから親近感が湧いたのもある。
でも、みんなが偽りなく本音を話せる、個々の人柄や個々の雰囲気から作り出されていたような気がする。
「みんな、いろんな事情を抱えて生きている」とは聞くけど、相手への共感や慰めは要らない気がする。
「こうしたらいいんじゃない?」と言える関係が必要だ。
だって、皆んな違うんだから、いろんなアイデアが生まれるはずだから。
この日は、19時すぎに就寝してしまった。得たものが多くて疲れた。
自分の五感を通じることのは、心身を穏やかに、シンプルにしてくれた。
ヨガは身体を動かすことだけだと思っていたけど、サットサンガはヨガの一部と言うことを知れた。自分の内側を知ることに共通しているから、らしい。
家族や友達でもない、新たなコミュニティーの存在って「あり」なのかもしれん。