彼女がスイスで尊厳死するまで(7)
最期のお願い
バンコクがそろそろ夏になろうとしていたある夜、ベッドで横になっていた彼女が静かに話し始めた。
「もう私は覚悟できているの。だから、あなたも早く覚悟して。あなたにしか頼めない最後のお願いなんだから。」
彼女は、自分はもう覚悟はできているから早くDignitasへ連れて行く決心をしろと言う。彼女の病状は加速度的に進行している。
最後の手段としてスイスへ一緒に行く事は二人で話して決めている。彼女の姉など一部の身内にはそれとなく話もしてある。
ただ、時期について彼はあえて話題にしてこなかった。彼女がいなくなってしまう日を決める事になるからだった。
すべての手続きが終わるまで数か月間はかかるだろう。手続が遅くなると彼女をスイスまで連れて行く事も出来なくなるかも知れない。
ようやく彼はすべてを聞き入れる事を決めた。
Dignitasに連絡しよう。
そして、彼女が望む限りにおいて、自分が最後まで盾になる。
Dignitas
彼女は末期の病状について、そんな最期は絶対に嫌だと言っていた。病気が進行して身体がつらくなると、彼に殺して欲しいと口にする事もあった。
彼が「どうしようもなくなったらそうするね」と答えると、彼女はいつも「嘘ばっかり」って悲しそうに笑うだけだ。
「あなたに迷惑をかけるくらいなら実家に戻って死ぬから私の事は忘れていいよ」というのが彼女の口癖になっていた。
彼はそんな彼女を見る事に耐えられず、誰彼かまわずに相談した。そして二人はついに、スイスに尊厳死で外国人を受け入れてくれる団体がある事を発見する。
それまでずっと悲しい最期しか描けなかった彼女はこの時、いざとなればスイスへ行けば救われる道のある事を知った。
それはDignitasと言う有名な団体だ。手続の方法についてはその後の調べでひと通り把握はしてある。彼が最初にDignitasと接触したのは2015年11月の事だった。
Dignitasの存在を知ってからの彼女は本当に明るくなった。彼女はいつも、人生の非常口を見つけたようなものだと話していた。
Dignitasが受け入れるのは厳しい基準をクリアした人だけだが、自分が十分に該当することを彼女はよく理解していた。
彼はDignitasに連絡を入れた......返信はすぐにあった。
ソンクラン
タイは一年中が夏みたいなものだと思われている方が多いと思うけど、実は多少の季節性はある。乾季雨季だけではなく、バンコクの気温だって最高と最低では20℃ほど違う。
タイが一年でもっとも暑くなるのは4~5月なのだが、その夏真っ盛りの4月中旬にタイは新年を迎える。ソンクランと言えば『水かけ祭り』として有名だが、それがタイのお正月の代名詞だ。
都会に働きに来ている人たちの多くは地元へ帰省し、逆にバンコクは観光客だらけになる。
二人ともお腹を壊すかもしれない水かけ祭りになんて参加する気はないけど、街中を歩いていると誰かれかまわず水をかけてくる。裏道で待ち伏せしている親子連れなんてのもいるから厄介だ。レストランで食事をしていても容赦ない。
二人はバンコクを抜け出してまたもホアヒンへ避難した。シーズンなのでビーチに面したホテルはどこも高額な宿泊料を要求していて手が出せず、仕方なくビーチから少し離れたプチホテルに泊まる事にした。
敷地内に樹木が覆われていて木陰が多くて涼しそうなホテルだ。庭から出入りできるのが良かった。
この頃の彼女は両手を掴んであげると少し立てるくらいで、自分で何かに掴まる事すら出来なくなっていた。話し声は耳を近づけないと聞き取れないくらい弱く、補助して貰うのも彼とヘルパーさんの他は怖いからと嫌がった。
ビーチには日本の海の家と同じような場所がたくさんあった。二人で水際に近い場所に陣取って、海までは彼が背負って歩いた。海に入ると浮力があるからお互いにちょっと楽だと言っていた。
海から上がって休んでいると地元のオバサンたちが次々と物売りにくる。飲み物だったりイカやエビのBBQだったりと多彩だ。
彼女は疲れて昼寝をしている。ちょっと動いただけで身体がつらくなると言っていた。彼は適当に買って、ビールを飲んで、彼女と並んで寝ころんだ。
昼寝が終るともう一度だけ海に入ってから部屋に戻り、二人でシャワーを浴びた。翌日も同じような過ごし方だった。彼女の体調が悪くない時は近所のレストランを探して食事をした。普通に食べることが難しくなっているにもかかわらず、彼女は相変わらずイタリアンが好きだった。
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