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掛川市伏見稲荷神社〜高松神社へ

この日は御前崎へ行こう!とだけ決めていた。
海が定期的に見たくなるのだ。

ただその日は仕事が押していたのだけど、その衝動に抗えずに午後に出発。

そこでその途中、ふと足がむいた神社をこちらでお伝えしていく。

静岡にある伏見稲荷神社

掛川駅から南の方へ。菊川を通って御前崎へ向かう途中、小貫という交差点をすぎたあたりでふと

「伏見稲荷神社」の看板を発見した。

え、伏見稲荷??掛川で?

と二度見し、そのままちょっと行くと「←こちら」の看板が現れたので、思わずハンドルを切って左へ曲がった。

小さいが、伏見稲荷神社がそこにあった。
特に駐車場がないので、茶畑の間の道にちょっとだけ止めさせてもらった。

こちらの由来書は、ほぼ伏見稲荷、本家本元の由来しかなく、
これだけ見てもいつ掛川に勧請されたか、なぜ勧請されたのかもわからない。

ただ、最近私について、イタコみたいな方から、大陸から日本に来た一族に関係があると言われたばかり。

その時は、ふーんくらいに聞いていたのだけど、この由来書の中に、ピッタリ当てはまるところがある。

そうか、昔秦一族として大陸から渡ってきたのか。そして秦氏はお稲荷さんが氏神さまだっけ。

私は要所要所で稲荷神社に呼ばれるのだけど、秦一族ってことも関係あるのかしらね。

この看板を見て。
これまで何度となく聴く秦氏の話がやっと筋道通って理解できた気がする。

ちなみに秦氏は「金」の文化を伝えたとこちらの由来にあるけど、私はどちらかと言えば「金=鉄」を伝えた功績が大きいのだと思っている。

たたら製鉄の手法を持ち込んで広めたのも秦氏。
鉄も使い、稲作を近代化させて広めたのも秦氏、結果「経済」の流れを作ったと言えるんじゃないかな。

その秦氏も最初は先住の出雲族か、何かに追われて日本をあちこち移動していたようだ。

その時の無念さを伝えてほしい、とそのクダンのイタコさんの口を通して言われている。

私が肌感覚でその無念を思い出して書けるときが来るのだろうか?

こん。

こん!


商売繁盛の神様だが、商売繁盛にあまり興味がないのでいつもありがとうございますと伝えて、手を合わせた。(商売してるのにね)

そしてこの神社を後にして、先日から気になっていた高松神社へ。

御前崎市高松神社へ

Googleマップ情報だと、かなり急な階段を登るとあったが、マップ通りに来たら、本殿のすぐ前の駐車場まで登ってきてしまった。

まあ夏の暑さもあるから、登らなくて良かったのだけど。

由来によると、701年の文武天皇の時に熊野三社から勧請したのだという。

この由来書には建物がどうのしかないけど、ホームページに当たったらこんな由来がありました。

遠州の熊野三山をめぐる
文武天皇に嫁ぎ、后となった藤原宮子は、熊野の神への崇敬があつく、もし男児(皇子)が生まれたなら「東に三つの社を建てる」という誓いを立ました。
その願いが叶い、無事、男児(のちの聖武天皇)が生まれたことから、遠江国に三つの社を造立されました。これが今に「遠州の熊野三山」と云われる三社であり、新宮(しんぐう)にあたる高松神社、本宮(ほんぐう)にあたる三熊野神社、那智(なち)にあたる小笠神社が、今の世の地に鎮座しています。

男子を産まなきゃいけないって大変よね。
そして願いが叶ったからって、お宮を3つもこんな東に建てるって……。不思議な時代。

それにしても見晴らしが良くて海まで見渡せる!!

海の安全祈願も行われ、サーファー🏄やウィンドサーファーも祈願にくるとのこと。

そして、ホームページを見て知ったのだけど、
上りは階段登って、下りはそばの公園にあるローラースライダー?(ど長い滑り台ね)で下るっていう手もあるらしい。

そちらも興味ある方はどぞ^^

今日はここまで。
読んでいただきありがとう。
またねー

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