吉野家 もっと挑戦しろ! もっと恥をかけ! 感想
吉野家こそ牛丼界の王!
頂点であり、至高の存在であると断言させていただきます。
お米は吉野家独自の国産ブレンド米。
肉は穀物飼育の北米産。
玉ねぎは厳選された国内産。
そして、100年以上続く秘伝のタレ。
これら素材たちが合わさったらどうなるか?
もはや皆さん知ってますよね。
私は牛丼単品での勝負なら、吉野家が圧倒的にうまいと思ってます。すき家もたしかにうまいと思うんだけど、トッピングの部分が大きい。一番人気はチーズ牛丼だし次点はねぎ玉と、イロモノ系が主役。
他にも松屋、なか卯などもありますが、やはり牛丼といえば吉野家ですよね。私は学生時代にはまって、昼食はもちろんこと、オールで遊んだ帰りにもよく食べていました。
早朝の静かな店内で、仲間たちと牛丼をかっ食らったことは、忘れがたい思い出です。社会人になってからも、残業続きですり減った精神と体力を癒やしてくれました。
吉野家ってほんとに熱狂するぐらい好きな人多いですよね。みんなそれぞれこだわりの食べ方があったり、それを自慢したりしたこともあるんじゃないでしょうか?
(私の場合は生卵に七味と醤油を混ぜています(^_^)v)
長々と吉野家愛を語らせていただきましたが、ここから本書についてお伝えします。
「吉野家 もっと挑戦しろ!もっと恥をかけ!」
吉野家ホールディングス会長 安部修仁【著】
本書は、吉野家の創業から現在に至るまでの歴史を、著者の経験を元に語られている内容となっています。
著者はミュージシャンを目指して福岡県から状況しました。しかし、バンド活動に行き詰まり、始めたのが吉野家のアルバイトです。その後、働きが認められ正社員になり、店長、九州地区本部長、そして42歳で社長に就任します。
経歴だけ見ると華々しい出世を遂げて、順風満帆な人生を送ってるように見えます。しかし、決して楽な道のりではありませんでした。
吉野家の創業から現在に至るまでに起きた様々な事件は、結果的に強固な会社を作ることになりました。その裏でどのような苦難を乗り越えてきたのか、三大事件を元に紹介したいと思います。
吉野家三大事件
・会社の倒産
・並盛250円セール
・BSE問題
会社の倒産
1980年、爆発的なチェーン展開に伴うさまざまな要員により、吉野家は倒産します。
肉の品質低下と価格の値上げ
吉野家ではアメリカ産牛肉を使用していますが、輸入できる量は、当時の日米間の条約で決まっていました。
それを度外視して急速な店舗拡大を図ったことにより、国内でアメリカ産牛肉の奪い合いが発生。そして、価格が高騰し入手が困難になりました。
苦肉の策として値上げによる使用量の減少と、フリーズドライ肉という加工肉を使うことを選択。その結果、肉の鮮度や味が落ち、そこに値上げが重なったことで急速な客離れが起きてしまいました。
客離れは赤字店を増加させ、人件費と原材料費の負担が重くのしかかります。当時、吉野家には不動産などの財産がなかったため、一気に資金繰りが悪化し経営破綻となりました。
倒産までの流れはだいぶ簡潔に書きましたが、おおむねこんな感じです。1980年は私が生まれる前ですが、吉野家が一度倒産していたことは知らなかったので驚きでした。
倒産後はセゾングループの傘下に入り、再建を果たすことができました。今、吉野家の牛丼を食べることができているのは、著者をはじめ当時の経営者や社員が頑張ってくれたおかげなんですよね。
ほんと感謝です!!
並盛250円セール
吉野家は2000年あたりから、来客数の減少に直面していました。著者はその要員として、吉野家の価格バリューの低下が起きていると考え、対策に乗り出します。
それは、味や品質を落とさずに、さらなる安さを実現させることでした。そうなれば、吉野家の価値の再設計は「さらなる進化」につながると考えたそうです。
そこで行ったのが、毎年恒例のセールで、当時の並盛価格400円を250円にする大幅値引きでした。
その効果は凄まじく、開店と同時に店内は満杯状況、弁当を求める人の列は店外まであふれるほど。
これは完全に予想外だったらしく、長時間の待ち時間が発生したり、食材や備品の不足により開店できない店がでたりしました。他にも様々な問題が発生し、連日クレームの電話が鳴り止まなかったそうです。
セールは6日間でしたが、最後まで混乱状態が続き、終了後には新聞の朝刊に謝罪広告を掲載するに至りました。
その後は、この教訓を得て体制の強化に成功したわけですが、著者は後に「今回のセールは、吉野家のマネジメント・オペレーションにおける敗北であった」と総括しています。
2000年あたりだと、私は18歳ぐらいでしたがなんとなく覚えていました。当時はあまりの混雑ぶりに行くのをやめた記憶があります。この頃は本当になんでも安くなっていましたよね。
現在は並盛426円(税込)ですから、時代が変わったなとふしぶし思います。
BSE問題
2003年12月、アメリカ・ワシントン州でBSE(牛海綿状脳症)感染の疑いのある牛肉が発見され、日本の農水省が輸入の一時停止を決定しました。BSEは牛特有の病気で、人間に感染すると危険なヤコブ病を発症するため、問題視されていました。
当時、吉野家ではいずれこのような事態が起こると想定していました。そこで、米国産以外の牛肉を使って吉野家の味を再現できるかどうか、世界中の牛肉産地を回って研究を行なっていたそうです。
結局、「吉野家の牛丼」が求める均質な肉を、継続的に調達するのは不可能とわかり、牛丼販売を休止することになります。
これは私も当時をよく覚えています。吉野家から牛丼が消える!と周りでも話題になっていましたから。連日ニュースでも取り上げられ、最終日に店舗に駆け込む人たちが映し出されていました。
牛丼販売停止後は一時的に赤字になったそうですが、米国産の牛肉にこだわったため、他の産地のものは使いませんでした。
その後、新メニューとして開発されたのが、今でもある豚丼やカレー丼です。私の場合は、「お!豚丼も悪くないじゃん」といった感じで、直ぐに好きになりました。今でもたまに食べます。一番好きなのは豚キムチ丼です。
輸入が解禁され牛丼販売を再開できるまでには、約3年ほどかかりました。
いい話ですね。長年慣れ親しんだ味が、ようやく復活するという嬉しさは格別のものです。私もその場にいたらきっと一緒に拍手していたと思います。
以上、吉野家三大事件を紹介させていただきました。
私と近い年代か上の方は、知ってるいる人も多いと思います。あんなことあったなーと思い出していただけたら、嬉しい限りです。
本書では創業当時の話や、三大事件の詳細についても知ることができますので、是非、読んでみてください。
私はこれからも吉野家の牛丼を食べ続けます。
ここまで感想文を読んでいただいてありがとうございました。