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妊娠を機に毒母と向き合ってみた

はじめに

自己紹介しておきます。
私は20代女性、夫と2人暮らし、現在妊娠中です。
職業は看護師ですが、現在休職中です。
きょうだいは姉1人(社会人)と妹2人(学生)、全員実家で父母と生活しています。

私の母は毒母でした。
しかし愛されていなかったわけではありません。むしろ、愛されていた記憶もあるせいで、「私の母は毒母だった」と受け入れるまでにかなり時間がかかってしまいました

しかし、毒母だったと分かったからと言って、どうこうするつもりはありませんでした。
というのも、実家との交流はありますが、物理的に離れて生活しているので毒母から私への被害がこれ以上重なるリスクは低いからです。
それに母は50代、今更もう何か言ったところで変わるとは思えませんでした。

そんな時、有難いことに私と夫との間に新しい命を授かりました。
私の父母にとっては初孫にあたります。
私は父のことは慕っているので、父には孫と交流してほしいと強く思っています。
しかし父と交流させるには必ず母もセットでついてきます。

父と孫を交流させようとすると、
私がかつて母から受けてきた仕打ちを孫も体験してしまうリスクがあるのです。

新しい命を守るために、
私が母と向き合い、母に意見を述べ、被害拡大を防ぐより他にない、と考えました。

このnoteは、
私が母に対し何を考え、何を伝え、どのような反応を得られたか。
又、それを経て今後どうしていくのか。
を共有するものになります。

私のように毒親に悩む人の一助になれたら幸いです。


どんな母だったか

※苦しいエピソードだらけです、感受性の高い方はご注意ください。

私は小さい頃、ボーイッシュな格好が好きで、女の子らしい装いを嫌悪している節がありました。ところが母はお構い無しにフリルやレースのついた少女趣味の服を買ってきます。私がそれを拒むと、目の前で涙を流し怒りながらそれらの服をゴミ箱に投げ込むのです。だからと言って母のために嫌な服を着ることも出来ませんでしたから、夜中にこっそりゴミ箱からそれらの可哀想な服を取り出して、タンスの1番奥にそっとしまったのを覚えています。あれが母の愛情表現だったとしても、私にとっては今でも思い出すと苦しくなるエピソードです。

私は片付けができない子供でした。それに非常に物忘れが激しく、大事なことでも何でもすぐ忘れてしまうため、いつも母に怒られ、殴られ、物は捨てられ、裸足のまま外に締め出されていました。「なんで出来ない」「どうして忘れる」と詰められるのが常でしたが、そんなの自分で分かるはずもなく、ただただ頭が真っ白になるばかりだったのを覚えています。私を殴るのに使われた算数ドリルの背表紙が真っ二つに裂け、私のせいで傷付いたドリルが可哀想でした。今でも思い出すと涙が出ます。

私が小さい頃から母は占いが好きで、よく家族の星回り?を調べていました。
そして、「あなたは父さんと仲良しの星、お姉ちゃんはお母さんと仲良しの星、あなたの星とお姉ちゃんの星は仲悪い星だから、お父さんチームとお母さんチームは敵同士」といった趣旨のことを頻繁に言うのでした。私と姉は当時よく喧嘩していましたが、これが「仲悪い星」だと言い聞かされたからなのか、はじめから仲が悪かったのかは分かりません。ただ、私は親の言うことを疑わない子供だったので、姉は敵なのだと思い込んでいましたし、私が父の味方をしないと父が孤独になるのだと思い込んでいました。実際、父はいつも母の苛立ちの矛先にされて、母の罵声を静かにうんうんと聞いているのを見ていましたから、当時の私は父が可哀想で仕方ありませんでした。

私は小学生の頃、他人との交流の仕方が分からず6年間いじめられていました。
これを母に打ち明けると、決まって「あなたのことが好きだからいじめるのね」と言われ茶化されたことを覚えています。たまに真剣な顔で聞いてくれたかと思うと、「いじめられるあなたに原因があるのでは」とも言われました。それ以外にも異性の話題が出ると、たちまち全て恋愛トークにされてしまうのでした。
ただただ日々が辛くて、自死を図ろうと持っていたベルトで首を絞めたことがあります。
しかし首の吊り方を知らなかったため上手くいかず、諦めました。

思春期に入り第二次性徴を迎えると、母は「胸が大きくなったね」「女の子らしい体つきになってきたね」と言って、私の胸や尻、身体のあらゆる部位を隙あらば撫で回すようになりました。母は情緒不安定ですぐキレる人だったので、私は母の機嫌を損ねることを恐れていました。なので、ずっと「母に成長を実感してもらえて嬉しいです」というフリをして、黙って母に撫で回されていました。
姉は母に嫌なことをされたら怒ることができる人でしたので、高校2年生くらいの時に姉に相談したところ、「嫌だと言って良いんだ」と後押ししてもらえました。勇気を振り絞って母に「実はずっと嫌なんだ」と伝えたところ、悲しそうな顔をしつつも徐々に頻度を減らしてくれましたが、今度はいつ妹たちがターゲットになるかと心配でたまりませんでした。

私が授業で使うノートやプリントを机に出しておくと、母はよく謎のマークを落書きする人でした。幼い頃はそれが母の愛情の印だと思いましたので、嬉しくて消さずにそのまま提出していました。それらの落書きが性器を象徴するマークであったと知ったのは、高校生になって随分経ってからでした。それからは必死に消すようになりましたが、母はいつの間にか書いてしまいますし、消してもアトがうっすら残るのでした。

母は看護師をしていますが、私や姉が幼い頃から「看護師になってママを支えてね」「看護師ほど良い職業は無い、他のどんな職業にも優る」と言い聞かせていました。
私が中学生の時にクリエイター職に就きたいことを打ち明けると、母は号泣しながら「今まで何のために育ててきたと思っているのか」「看護師になってくれなければいけない」と訴えるのでした。私はこの時、「看護師になるより他に道は無いんだな」と感じ、本当の気持ちは諦めて、言われるがまま看護師になりました。母は今になって「あなたの好きなことをするのが1番だからね」などと言いますが、「今更どの口が?」と不思議に思うばかりです。20代現在になって、ようやく「私って本当は何がしたかったのかな」と考えることができるようになりましたが、見付けるにはまだ時間がかかりそうです。

例を挙げだしたらキリがないですね。「あれって虐待だったのでは……?」と感じるエピソードも多いです。しかし父と2人で思いを込めて名前をつけてくれたし、誕生日にはケーキとご馳走を手作りしてくれたし、高校3年間ずっと豪華なお弁当を作ってくれたし、手提げバッグやポーチなど小物を手作りしてくれることもあったし、学校の帰りにファミレスで勉強したいと言えばドリンクバー代くらいは持たせてくれました。家族みんなでイベントを過ごすことを好む人でしたし、機嫌が良ければニコニコと優しく、愛されていなかったとは思いがたいです。それが既に呪縛というか私が何か麻痺しているのかもしれませんが……。
それでも、愛された記憶以上に、傷付けられた記憶が多く、また深すぎるのです。


私の妊娠

社会人1年目の時に、狭い実家で母と共に暮らし続けることに耐えかね、当時交際中の男性が単身暮らす家に転がり込みました。お金を貯めて2人で引っ越し、同棲期間を経て翌年入籍、現在結婚3年目です。

実家の隣県に居を構えましたが、電車で1時間〜1時間半もあれば会える距離。
実家に置いてきた妹たちの安否は心配でしたが、私よりしっかりした子たちで意思も強く、嫌なことは嫌と言えるので、時々連絡をとる程度で様子を見ていました。

昨年(2024年)9月、私の妊娠が発覚しました。
新しい命は男の子なのですが、私の母は娘たちが幼い頃から「女の子だけが欲しかったからあなたたちが女の子で嬉しい」「女の子は可愛い」「男の子は乱暴で嫌」といったことを堂々と述べる人でした。少女趣味の服を買ってくるのをやめなかったことからも推察できますが、母は「女の子絶対主義」なんだなあと思わされる場面が多々あります。孫が男の子だと、悪気無く何を口走るか分かったものではありません。
又、私も姉妹も幼い頃に、母が近所の赤ちゃんを短時間だけ預かったことがあるのですが、母は赤ちゃんを可愛い可愛いと言って大喜びし、自分のおっぱいを飲ませました。その赤ちゃんのお母さんは赤ちゃんのためにミルクを置いていっていましたし、ミルクが足りなくなるほど長い時間預かっていたようには思わないのですが、それにしたって他人の赤ちゃんに許可なくおっぱいを飲ませるなんて信じ難い行いであったと、成長してから振り返って思います。
あとは“はじめに”で述べた通りです。
父と孫の交流を望むのであれば、毒母との接触は避けられません。
そして私は、愛しい我が子を魔の手から守らなければいけません

母と向き合い、何を諦め何を望むか、何をどのように伝えるか、
考える必要がありました。


向き合い方

目的

できることなら母に、
これまでの過ちを自覚し、反省し、もう2度と繰り返さないと誓い、謝罪してほしい
です。

しかし毒母の性質のまま20年以上育児し、今や50代となった人です。おまけに感情的になりやすく情緒不安定。罪を突きつけたところで、素直に受け入れ反省することは困難だろうと考えました。

そもそも向き合おうとした目的は、私のためではなく新しい命を守るためです。
・孫とどのように接してほしいか
・なぜ私が母にこれをお願いするのか
・孫のため今後出来るだけ良好な関係を築くことが目的であり母を攻撃する意図はない
上記に重点を置いて、あくまで冷静な文章をしたためて母に送ることにしました。

方法

過去を振り返り、「何が嫌だったか」「だからどうしてほしいのか」を振り返る作業になりますから、最初から感情抜きの文章を作るのは簡単ではありません。
なのでまずは、自分に素直に感情的に、恨み辛みを込めた文章をしたためつつ、母への要望を書き出しました。
そして次に、それを「理性的な文章に直してください」とchatGPTに丸投げしました。
そうしてchatGPTから返ってきた添削済みの文章を読み、内容に誤りが生じていないか確認し、母にLINEで送りました。


母に伝えたこととその反応

実際に母に送った文章

上の画像が、chatGPTに添削してもらい母に送った文章の全文です。
私が何より驚いたのは、この文章を送った直後、私が真っ先に感じた気持ちが「これで母に嫌われてしまったらどうしよう」だったことです。
今までこれだけ傷付けられながら、私は未だに母の愛を失うことを恐れていました。
母と娘という関係性(もしくは親子という関係性)は、かくも深く呪われたものかとショックでした。私はきっと母が死んでも、心の底から母を嫌いになることは出来ないのでしょう。

すぐに既読がつき、約2時間後に返事が来ました。内容としては
・お母さんも無くなった親に対して同じように傷付いてきたのを思い出した。
・お母さんは自分の気持ちを伝えられないまま親が無くなってしまったので、生きている限りあなたの思いを受け止めていきたい、償っていく。
・孫との接し方についてはあなたの指示に従う。

といったものでした。

一旦は受け止めてくれたようで、ひとまず安堵しました。

しかし数日後、状況を共有していた姉からLINEが。
母が「妹ちゃん達もいつかこんな風にママのこと塩対応したり嫌われたりするのかな」と言っていたというのです。

ああ、ちっとも響かなかったんだな」と思いました。
おそらく母は、自分の傷付いた気持ちだけで精一杯で、娘に恨まれたり憎まれたりすることは認めがたいのでしょう。母も自分の親からの無償の愛に飢えてきた人ですから、今になって娘から愛されないなんて受け入れ難いのでしょう。想像ですが。


現在と今後

孫との接し方については、母も気を付けてくれることでしょう。
母はたまに唐突に「何か買ってほしいものがあるのか」などのLINEを送ってきます。
それらの言葉選びから、私との関わり方に不安を感じているように見受けられます。
母はもう私の信頼を失っているので、今後は態度で誠意を示すしかないのですが、それを理解しているのかは分かりません。
正直なところ私は母に、「お前に出来るのは手も口も出さず、必要に応じ経済的な支援をすることのみだ」と思っています。初孫の出産準備用品代ちょっと出してほしい。

今回、向き合ってみて、ずっと押し殺して見ないようにして諦めていた胸のつかえが、少し楽になったような感じはします。
しかし母は己の過ちを心から自覚し反省することが出来なかったので、私の心が本当の本当に救われる日は来ないのでしょう。
しかし少なくとも、私は今後母に嫌なことをされた時に、きちんと「嫌だ」と言えるでしょう。そうなれたように感じています。

私は今やれるだけのことをやりました。正しかったか間違っていたかは分かりません。あとは新しい命を少しでも軽くなった心で温かく迎え入れ、母が犯した過ちを新しい命に引き継がないよう、最大限の注意を払って育てていくだけです。負の連鎖は私で止めます。母と同じ徹は踏みたくありません。努力していくのみです。


おわりに

最近、私は姉と共に母の毒性について振り返る会を定期開催しています。振り返って心が救われることを「解脱」と呼ぶことにしていますが、「解毒」と呼んでも良いかもしれませんね。妹たちはまだ母とたいへん仲良く過ごしていますが、いつか母の毒の部分に疑問を感じる日が来るのでしょうか。みんな解毒できたら良いなと思います。

そして父。父も困ったところのある人ではありますが、母に比べれば「ちょっと困ったおじいさん」くらいで済みそうなところが不幸中の幸いです。家庭内で男1人、母と娘4人を支え続けるのは精神的にしんどかったことでしょう、ありがとうございます。人間、80代ともなるといつ亡くなっても不思議ではありませんから、労りたいなと思います。初孫、可愛がってね。

自分は毒を浴びながら育った子だと認めること、親が毒だったと認めること、今度について考えること、親と向き合い意見を述べること、これらは非常にエネルギーを必要とする行いです。私も途中で耐え難くなり、何度も泣き、何度も休みながらやり遂げました。
夫が私を辛抱強く愛し支えてくれたから、心のエネルギーが充分に補給され、自分の生育環境が不健康なものであったと気が付けたと思います。夫に心の底から感謝です。
夫と新しい命に元気をもらい、SNSで見る毒親体験談に勇気をもらい、甘いおやつや面白い動画に癒しをもらい、時に死んだように眠りながら、4ヶ月ほどかけて母と向き合いました。ましてや妊娠中に向き合うとなると、マタニティブルー(ひいては鬱)のリスクもあると思いますから、向き合おうとしている方はどうぞ心身にお気を付け下さい。
私はたまたまやり遂げることが叶いましたが、まだやり遂げるにはエネルギー不足な方もいることでしょう。毒親のもとで暮らしてきた子供は、ずっと緊張してきたわけですから慢性的なエネルギー不足です。大人になったからってすぐ解消されるわけじゃありません。大人は子供の延長にいますから。ゆっくり心のエネルギー補給しましょう。

長く拙い文章だったかと思いますが、ここまで読んで下さってありがとうございました。もし毒親に苦しむ方の助けに少しでもなれたら嬉しく思います。

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