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【小説】いつか扉が閉まる時(2)
「すみません」
カウンター越しに声をかけられる。ハッとして日誌を閉じて立ち上がり、生徒名と本のバーコードを読み込み、返却予定日印を押して手続きした。
カウンター前に誰もいなくなったのを確認し、もう一度、日誌を開く。
「何見てんの」
後ろから声をかけられ、びっくりして振り返る。
そこにはもう1人の当番、久保がいた。
「何で驚いてんの」といつものへらへらした様子で隣に座ってきた。
私は努めて平静を装い、さりげなく日誌を閉じる。
「久保か…今日、当番に来れないって言ってなかった?」
「思ったより早く終わってさ。ほら、俺って仕事熱心じゃん?紗枝さんにも会いたかったし」
「名前呼びやめてっていつも言ってるよね」
「苗字、覚えにくくない?」
「覚えにくくありません。は・し・も・と。英語にするとブリッジ・ブック」
「ブックって図書委員ぽいよね。てか紗枝さんだって、俺のこと呼び捨てにするじゃん」
「じゃあ久保さん、って呼ぶ」と脅す感じの声音で言うと、
「久保のままでいいからさ、さーえさん」と、わざと呼び名を強調しながら笑いかけてくる。
こいつには何を言っても無駄だった。久保は、図書委員長の水口さんに「ジゴロ」と影で呼ばれるくらいに女子の下の名前を気軽に呼ぶ軽薄な奴だ。
ただ、初めて水口さんに「ゆうみちゃん」と呼びかけた時、私もその場にいたが、水口さんが静かにこう言ったのだ。
「私は幼い頃から空手を学んでいます。一般人にそれを行使することは決してございません。
しかしあまりに怒り狂った時にまで自分を抑えられるか、未熟者なので自信がないのですが…それでもその呼び方を貫くおつもりがあなたにありますか?」
久保はそれ以降、彼女に関しては姓にさん付けで呼んでいる。
でも本人に言うつもりはないが、こいつならまあいいか、と思わせるような奴ではある。
私たちはその後、くだらない話をしながら当番を続けた。
帰りのSHRが終わってすぐ、私は学校を出た。
今日は母の誕生日なのだ。
勤務先の市立高校はうちから1時間はかかるから、母の帰りはいつものように午後9時ぐらいか。
もっと早く帰って来れたらいいのだが、午後10時でも何人もの先生が職員室に残っているらしい。
母お気に入りのケーキ屋でショートケーキとコーヒーゼリーを1つずつ買う。健康診断で「脂肪の摂り過ぎ」を指摘され気にしていた母だったから、どちらか選べるように。
あとはスーパーで野菜や煮込みハンバーグの材料を買った。ハンバーグはひき肉を混ぜて焼けば良いだけのインスタントだがトマトソースで煮込むと手間をかけた雰囲気になる。
重い荷物を抱えて帰宅し、部屋着に着替えてキッチンに。いつもなら母に作り置きして私だけ先に夕食を済ませるが、今日は特別だ。
食事を作り終えてからダイニングで宿題をする。
すると玄関の鍵を開ける音がした。
「いい匂いがするけど?」
「お帰り。早いね、まだ8時だよ?」
「ただいま。仕事のキリが付いてね」
「着替えておいでよ。一緒に食べようと思って待ってたんだ」
母が部屋に行っている間にテーブルをセットした。
母はテレビに出る同年代の素人より若く見える。日頃から生徒の若いエキスを浴びているせいだろうか。
「おいしそう。しかも豪華ね?」
サラダと軽く焼き直したフランスパンと煮込みハンバーグだけなのに、母は大げさなくらいに誉めてくれた。
「お誕生日だからね」
「覚えてたんだ。朝何にも言わないから、忘れてると思ってたよ」
「サプライズしたくて」と私は後ろから包みを出す。
「ありがとう。開けていい?」
「もちろん。大したものじゃないけど。お小遣いが多かったらダイヤのネックレスとかあげられたんだけど」
「お小遣い少なくて悪かったね…わー、素敵」
本好きの母のために、ラインストーンのついたアクセサリーっぽいブックマーカーを選んだのだ。
見ると母は涙ぐんでいる。喜んでもらって嬉しいが、何だか気恥ずかしい。
「もう、泣かないで!それより食べよう、ハンバーグが熱々のうちに。食後にはケーキもあるよ」
母は涙を軽くぬぐって「そうね」と笑った。
(続く)