【小説】いつか扉が閉まる時(10)最終回
「紗枝さんは進路どうすんの」
もうすぐ3月、カウンター当番も終わりに近づいている。
久保は本好きでもなさそうなのに1年生の頃から図書委員をしている。最初はじゃんけんで負けたから仕方なくなったと言ってたが、今年は自ら希望したらしい。
ただ3年生になったらわからない。役員の水口さんと私は残るつもりだけれど、久保は別の委員になるかもしれない。
だから久保とこんな風に話をするのはあと少しかもとしんみりする。
「学部は心理関係って決めてる」
「大学どこ?地元?」
「いくつか候補はあるけどまだ決めてない。地元の大学だと偏差値が高すぎるから無理かな」
「じゃ、家出るんだ」
「それもありかも。もちろん、受からないといけないけど」
確かになと久保が言って、私も笑った。
「久保はどうするの?専門学校?就職?」
「成績が悪いからって、大学じゃないって決め付けないのー」と手をひらひらさせる。
「そうだね、赤点2個でも私大は受験科目少ないから行けるね」
「今回は1個だったよ」と誇らしげに言う。
「なぜ自慢気…じゃあ何系なの?」
「今んとこ、ざっくり理系で…お、マキちゃん」と貸出にやってきた女子生徒に声をかけた。
「ちゃんと仕事してるね、たっつん。これよろしくー」と差し出された本は救急処置の本。
「さっすがマネージャー。借りる本が違うね」
手続きを終えると「じゃねー」とマネージャーさんは去って行く。
私はふっと久保のこれまでの言動を思い出して微笑んだ。
久保が私を見て、何?と目で問いかける。
「いや、久保ってホントぶれないなって思って。女子の名前よく覚えてるよね。私なんてクラスメートの男子の下の名前どころか、苗字だって半分くらい出てこない」とさらに笑うと、久保は思いがけず真面目な顔をしてこう言った。
「紗枝さんに、ちゃん付けしたことはないけど」
久保が何を言いたいのかわからないので、笑みをひっこめて顔を見た。
「女子に、下の名前とさん付けしてるのは、紗枝さんだけなんだけど」とぶっきらぼうに言い、そのまま来た利用者の手続きをし始める。
そうだね。水口さんには苗字+さんづけだし。だから何?と思いながら、私も返却印を押した。
…この件をスルーしたことは、いずれ大学生になった久保にからかわれ続ける案件となる。
もちろんそのたびに「あれが告白の前フリってわかるなんて、逆に自意識過剰だと思う!」と言い返すけれど。
終業式、大掃除をしに図書館に行くと、増野先生が珍しく出てきたと思ったら段ボール運ぶのを手伝ってと男子生徒に言っていた。
どうやら司書室の私物を持ち帰るらしい。
そうか、勤務は今日までなのか。
結局ほとんど話をしなかったな…と私は春の暖かい気配を身にまといながらこれまでの増野先生との日々を思い出した。
あまり良い思い出は見つけられなかったが。
大掃除中はあずさが張り切って書架整理をしていた。
新しい司書の先生が新年度から来るから、ちゃんとさせておきたいそうだ。
私も水口さんも、次にこの図書館に来るのは4月の始業式だ。
どんな先生が待ち構えているのだろう。
藤井先生の日誌によれば次の人は図書館だけの勤務ではないかもしれないし、以前の藤井先生みたいに図書館専任かもしれない。
私も3年生になって今より勉強が忙しくなるけれど、後輩図書委員たちの指導をできる範囲でして新しい先生の力になれるよう陰ながら支えよう。
増野先生は荷物を運び終えた男子生徒に「ありがとう」と言った。そしてそのまま司書室に入って出て来なかった。
「最後まで監督しなかったね」と水口さんが言う。
「そうだね。管理職が司書室にいるだけでいいって言ってたもんね」
そうだっけと水口さんはつぶやいて、掃除が終わった全員を集めて最後の礼をした。
2年生最後のSHRが終わってから図書館に行った。
扉はもう、鍵が閉まっていた。
次にこの鍵を開ける人のことを考えながら、そして藤井先生のことを思い出しながらしばらくそこにいた。
すると田辺先生が通りかかった。
私を見るなり「結局図書館にあまり行けなくてごめんなさい」と言われた。そして「あなたたちが頑張ってくれてたって増野先生から聞いてたよ。ありがとう」と微笑む。
意外な人からの誉め言葉に「先生、嘘はいけませんよ」と私より首一つ分は高い先生を見上げる。
「嘘じゃないよ」
だったらもう少し司書室から出てきても良さそうなものですが、て言うか、最後に直接私たちに言えばいいのに!と思ったが…
「そうですか。教えてくださってありがとうございます」
もう今となってはどちらでも、どうでもいいことだ。
「ところで先生、仕事を辞めたくなったことってありますか?」ふいに思いついたので聞いてみた。
田辺先生は急にそんなことを聞く私にびっくりしたような顔をしながらも「無い…と言いたいけれど、あるよ。でも私は辞めない。きっと」
「どうしてですか?」
「月並みだけどさ、生徒が好きだから」と会心の笑顔を見せながら、手を振って廊下の向こうに去って行く。
将来、自分が何になるか、そして何になれるかはまだわからない。
ただ、1つだけわかっていること。
私もあんな風に自分の仕事が好きと言える大人になりたい。
藤井先生みたいに自分の100%をかけられる仕事を見つけたい。
先生は今でもきっと、私たちのことを考えて心込めて選んだ多くの本を通して応援してくれている。
その本を助けにして、私はこれから、もっといろんなことを学んでいくよ。
だから、また来るね。
(了)