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【小説】いつか扉が閉まる時(4)
「私は専任の司書でいたかった。勤務時間内外問わず100%の司書で…」
何のことだろう。藤井先生は専任だった…いや「図書館◯◯時間」ということは、別の場所で別の仕事もしなければならなかったのではと思い至る。
でも私がいつ行っても図書館は開いていたし、少ないけれど授業利用した時も藤井先生は図書館にいたけれど…と思いながら、さらに日誌を上にスクロールする。
すると他の簡潔な日誌と違い、文章の長い日があった。
教育庁人事部より以下の文書が出てしまった。
「今後は校長判断で学校司書に事務室兼務させることが可能となります。本人の承諾は一切不要で、年度途中でも変更が可能です。」
これを読んでいる後任者へ。
この文のあまりの血の通わなさには、悲しみしかありません。
司書は今後「年間計画ができない、先の見通しが立たない」中で仕事することになりかねないのです。
この件は学校司書に知られないよう秘密裏に進められ、決定事項として唐突に学校に下ろされました。私たちが事の経緯を知ったのはすべてが決まった後です。
司書たちは読書指導や図書館が常時開いている大切さを訴えたりと色々しましたが、まだ何も変えられていません。力のない私たちで申し訳ありません。
学校司書は校内で一人です。味方になってくれる人がいても、同じ気持ちになってくれる人はいません。それは私たちが教諭や管理職の大変さを、想像できるけれど同じ気持ちになれないのと一緒です。
その立場になってみて、はじめて霧が晴れたように「こんな苦しみなのか」とわかるのです。想像には限界があり、実際はもっと過酷です。
だから校内で本当の司書の理解者はいないのです。
クビになるわけじゃない。
残業手当出るでしょ。
教諭の方がもっと大変だ。
兼務の理不尽さを訴えても、こんな風に大勢の教諭から思われることは容易に想像できます。
そんな孤独の中で、しかも時には
「お前の仕事は誰にでもできる」
「昼休みと放課後に誰かいさえすれば良い」
そうはっきりと、あるいは行間に滲む無理解を投げつけられる痛みを
図書館員の地位の高い諸外国と違い、この国の司書であれば多くの人が経験しているはず。
そしてその悲しみと悔しさをバネに頑張る人もいれば、折れてしまう人もいるでしょう…。
この件でもうひとつ私が危惧すること、それは学校司書がこれまでのように時間をかけられなくなることで、図書館が図書館で無くなってしまうことです。
利用者の学習・知識、興味・関心を知ることで、ようやくできる適切な本の選定。
利用者に可能な限り必要な本を提供するための継続的な館内整備。
それらには時間がかかります。
手を入れられなくなった図書館は、いつしか本の物置となります。
ただ予算を消化するために適当に選ばれた本の羅列。
棚に本があるだけの、形だけの、魂の入らない図書館。
図書館に興味のない人には、図書館と「本の物置」の違いがわかりません。
でも図書館が好きで本が好きな生徒にはわかります。
だんだんと物置になっていく図書館を、あの子たちに見せたくない…。
同じ文を2度読む。
物置になっていく図書館を私たちに見せたくない。
そのために兼務を命じられても、無理をしていた。1人で。
だから、最期の言葉が「疲れた」だったのか?
藤井先生。
ねえ。
先生は、理解者がいなくて孤独だったの、あんなに図書館で笑っていたのに?
だからわざとホームに転落したんじゃ、ないよね…
先生の顔を思い浮かべると涙がにじんだ。
先生が苦しい状況だと知っていたら、私にもできることがあったのに。フィルムかけは得意だし、本の分類に詳しいあずさなら書架整理できるし、季節や行事に即したテーマ展示は私たちにもできる。
私や図書委員有志が本屋めぐりして、各教科からもらった年間指導計画に即して本選びに携わることだってできた。
…そうじゃない。
私は息をつく。そのまま大きく息を吸い込んで、吐いた。
たった1回や数日ならできる。でも先生と同じようにするのは無理だ。私たちにはまず学校の授業や行事があり、受験や就職試験があり、やがて卒業するのだから。
私たちでは先生の力には結局、なれなかったのだ。
そう思うとまた涙がこみ上げてきた。死んでほしくなかった、藤井先生に。
最近は毎朝、目が腫れていないか確認する。
一重の目が最近、より細くなった。毎夜、やめようと思うのに日誌を開いてしまい、涙ぐむせいだ。
昨日はまぶたを冷やし足りなかった…仕方ない、と諦めて学校に行った。
今日は水曜日、カウンター当番の日だ。でも図書館に行く足が重かった。
以前、藤井先生に進路の悩みを聞いてもらったことがある。
母を見る限り教師は目指さないけれど、養護教諭やスクールカウンセラーとして生徒や先生を支える仕事に就きたい、そんな話をした。
見えない未来は希望と不安が交ぜこぜで、今は不安の方が強い。そんな様子の私に先生は何冊か本を見せてくれた。
私はちょっと得意顔になって「前に借りましたよ、それ。ついでに140(心理学)や370(教育)付近の本も見てます」と言うと「さすが橋本さんだね、応援してるよ」とそっと肩を叩いてくれた。
図書館にはそんな思い出が詰まっている。
(続く)