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【小説】いつか扉が閉まる時(8)

「また図書館に顔を出すようになったんだって?」と当番中、久保に言われた。

「前からよく来てたけど」と若干冷たく答える。

「藤井先生が亡くなってしばらく行ってなかったって聞いたから」

 誰に?という目で久保を見たが、心の声は届かなかったようだ。

 そこに貸出の生徒が来たので話が中断する。

「あれ?ゆかりちゃんじゃん。貸出なんて珍しいね」と久保がへらへらと女子に笑いかける。

「たっつんが今日当番っていうから見に来ようと思って」とショートカットの可愛い子が両手で本を差し出した。
 
 パソコン手続きをしながら久保は、
「俺、10月から当番してたのに今更かよ」と拗ねたように笑う。

「だって本に興味なかったんだもん。それに、これ!」とその子はチョコレートを久保に差し出す。

「お?バレンタインじゃん、サンキュー」

「義・理・だ・け・ど」ハートがつくような語尾。

 えー義理かよ、とか言っていちゃいちゃしている。なんなんだ、この会話は。もしかして2人は付き合う前のカップルか?大体、たっつんって…久保達也だからか。

 言われてみれば、今日はバレンタインだった。関係ないのですっかり忘れていた。

 私は返却予定日印を押して本をその子に渡す。しかし手続きが終わったのにその子は動こうとしない。
 別の子が、その子の後ろに並んだ。
 私が「ゆかりちゃん」に注意しようとすると、
「お?まりちゃん。久しぶり」と久保が言い「ゆかりちゃん、また来てね」と笑いかけた。

 ゆかりちゃんは「じゃあね」と手を振って去って行く。

 まりちゃんと呼ばれた子は恥ずかしそうににっこり笑って本を差し出す。

 私たちが手続きをし終えると、その子はぺこりと会釈して立ち去る。

「相変わらずジゴロだねー」

 ある意味、感心しながら久保を見る。

「何?ジゴロって」

 簡単に言えば女たらし、と言いかけてやめる。 

「久保って女子に苦手意識なんか持ったことないでしょ」

「そんなことないよ、苦手だよ」といつものようにへらっと笑う。

 校内で多くの男子を敵に回しそうな発言だが、たまに廊下ですれ違う久保の周りには数人、しかもいつも様々な男女の生徒がいる。

「チョコもたくさんもらったんじゃない?」

「紗枝さん、もしかして気にしてくれてんの」

 あまりに馬鹿らしいことを言われたので「そんなわけないでしょ」と言ってやった。

「だよねー」と久保も笑った。



 天気の良い日曜日、久しぶりに母と近くの公園に梅を見に行くことになった。

 冬の澄んだ空が少しずつ柔らかな春の色をし始めた。だんだん暖かくなるのが嬉しくて私がそう言うと「あれは黄砂よ」と見も蓋もないことを言う母だった。

 公園には梅のツンとする甘酸っぱい匂いが広がっている。

「この間言ってた進路のことだけど」と母が切り出す。

「…今その話?梅に集中しようよ」

 白や紅色、そして桜のようなピンク色の花びらを愛でながら、なぜこんな話になるのか。

「家だと深刻になっちゃうでしょ」

「ならないよ。成績もまあまあだし進路も大体決まってるし」

「スクールカウンセラーは素晴らしい仕事だけど」

「待遇が悪いケースが多いのは何度も聞いた。それに心理学方面に進みたいってだけで何にも決まってないよ」

 近くにいる家族連れは、きれいと言いながら写真を撮ったり、下から楽しそうに梅を見上げている。

 1月末に母と進路の話をした時、藤井先生が亡くなったばかりのショックがあったのか、あまり長く話ができなかった。その時も母はいつものように、1人でも生きて行ける堅実な道を私に勧めた。

 スクールカウンセラーは1人で何校も掛け持ちする。大体は正規職員じゃない。臨床心理士なども、正規職員ももちろんいるが非正規も多い。では教師になってほしいのかと聞くと違うという。ただ、今から道を狭めないで色々考えて欲しいと言われた。

 母は私に本当は同じ道を歩いてほしいのだろうか。

 正規の女性職員が多くて待遇が比較的良い仕事と言えば、教師を含む公務員はその代表かもしれない。育休・産休も民間では取りにくいとか「マタハラ」があるとも聞く。女子だけ不利な点数操作をされていたという医大受験の話を知った時は、医者でさえこんななのかとがっかりした。

「この紅梅、きれい」

 他の梅の中でひときわ深い赤の梅が目に入った。母も「そうね」と、私に梅の下に行くように言って写真を撮った。 

「藤井先生が」と私は何となく話し出す。藤井先生の話は入学してから何度か母にしたので、覚えているはずだ。

 (続く)