【小説】いつか扉が閉まる時　３年生・夏休み（３）

　家に帰ると、久保からメッセージが届いていた。

「無事に着いた？」

「着いたよ。今日はありがとう」

「お礼を言うのはこっち。ついでなんだけど」

「何？」

「英語がヤバい」

　…だから神社より勉強優先しろって言ったんだよ。

　でもいつもの久保らしくて、ちょっとホッとした。

　しかしやり取りが進むうちに、なぜか久保の英語の勉強を手伝うよう頼みこまれた。

「紗枝さんち、学校に近いじゃん？」じゃ、ないんだよ。　

　私は不機嫌な顔をわざと作った。せっかくの夏休み、なぜ学校などに行かねばならないのか。

　私を昇降口で待っていた久保はへらっとしながら「来てくれたんだ、ごめーん」と私を拝んだ。

「ご利益はありません」

「今日だけだから」

　だけだから、じゃないよ。近くても学校に来るのは面倒なんだよ。

「…紗枝さん、怒ってる？」久保がすたすた歩く私にまとわりつく。

「Let’s talk in English.」

「意地悪しないでー」

「何が意地悪よ。英語は使って覚えるのが一番なんだよ」

　しゅんとする久保が面白いのでからかっておいた。

　自習室を覗くと、真剣に勉強している人がかなりいた。こんな中でひそひそでもしゃべったら迷惑だろう。図書館に向かうと、暑い中、廊下の長机で頑張る人たちもいた。

　もしや図書館閉館？と嫌な記憶がフラッシュバックしたが、実際そんなことはなく、扉は開いてひんやりした空気が流れてきた。

　司書室には森本先生がいて、気配を感じたのかこちらに微笑んでくれた。閲覧室にも生徒が数人いて本を読んだり自習したりしていた。

　わざわざ学校に自習目的で来る生徒がこんなにいるのかと驚いた。

　久保情報によると、塾に行ってない人が結構学校に来るらしく、毎日こんな状況とのこと。

　私は学校で自習しようなんてこれっぽっちも思わないし、魅力的な本が溢れる図書館では誘惑に負けて勉強などできそうにない。　

　夏休みでこんな状態なら、冬休みや共通テスト明けはもっと人が多そうだ。大学の二次試験対策もあるし、司書の先生が事務室兼務なせいで図書館を数時間でも閉館したら、生徒も困るのではないだろうか。

　今思ったことは何かのヒントになりそうだったが、久保の泣き言が思考を遮る。

「も、英語全然わかんないんだよ」

「最終テストはいつ？」

「来週の月曜日」

「範囲は決まってるんでしょ？覚えるしかないよ」

「覚えたくないー」

　私はこれまでの人生でやったことはないが、久保をぶっ飛ばしたい気持ちになった。

「そんな甘えたことを言うんなら単位を落とすが良いわ。私は帰ります」

「紗枝さん、冷たいー」

　どうやら久保は私と遊びたかっただけらしい。

　私がわざと立ち上がると慌てたように「冗談、冗談ですって。この関係副詞がイマイチわからないんですよ」

　私は座り直してテキストを見た。

「関係副詞は丸暗記してやり過ごしてる。私は」

「じゃ俺が覚えてるかどうか、問題出してください」

「…なぜ敬語？」

「だって今は紗枝さんが俺の先生だからさ」

　テキストからランダムに、でも時々同じ問題の出題を繰り返すと、久保も少しずつ答えられるようになった。
　私にできることはし尽くした感があるので帰ることにした。

「森本先生に挨拶していくね」と言うと、久保もついて来た。

　英語がヤバいあんたは引き続き勉強しなよと思ったが、止めなかった。　　　

　司書室をノックして先生に会釈する。

「こんにちは、勉強ははかどった？」

　それはどうかな…と久保を見るとニコニコして「はーい」と答えていた。自己肯定感、高いな。

「夏休みも毎日こんなに生徒が来るんですか？」

「ええ。私がいた当時も来ていましたよ。皆好きなところで勉強したいみたいね」と言いながら麦茶を出してくれた。　
　お礼を言ってありがたくいただく。

「朝からですか？」

「そう。そして閉館時間まで誰かしらいたわね」　

「あの、それは３学期もですか？共通テスト明けとか自宅学習期間とか」

「そうね。開館時間中は３年生がいつもいましたね。小論文対策で本をよく借りに来ていたし」

「じゃあ」と私は身体を乗り出す。

「司書の先生が例えば午前中に事務室にいたら、３年生は困りますよね」

　森本先生は一瞬、迷うような表情をした。

「自習できる部屋が図書館だけだったら、確かに困るかもしれないわね。鍵だけ開けて職員が無人ってわけに行かないから。

　ただ、うちの学校には広い自習室もあるし。

　もちろん司書が兼務すると図書館の仕事がおろそかになってしまうけれど、３年生に関しては、大きな影響があるかはわからないわね…」

　ふーん。

　私は森本先生をまだよく知らないけど、これは波風立てないための模範回答かもしれない。

　私も学校では自習しないから困らないけど、他の生徒はどうだろうか。

　去年の３年生はどうだったんだろう。増野先生は２、３月、午後しか図書館にいなかったし。

「そう言えば、俺たち去年合同研修会に行ったんですよー。今年はもう終わりましたか？」

　森本先生は微笑んだ。

「ちょうど昨日でしたよ。２年役員以外に１年生が参加してくれてね」

「１年が参加すると次につながりますものね」

「去年は紗枝さん、ビブリオバトルで決勝まで行ったんすよー」

　私は久保を見た。よく覚えてるね。

「素敵ね。何の本を紹介したの？」

「『十二国記』っす」

　何で久保が答えるんだ？しかも得意そうに。

（続く）