自分から遠く離れた言葉の好きさ
自分の立場から遠く離れた人の言葉ってすごく興味深いというか、自分を成長させるにも役立つので好きです。
「ミスiD」という野望に満ちた女の子たちのコンテストがあって、noteとも連携してよりそういう「若い女性の世界の捉え方」が読めてうれしい。ツイッターだと感情優先になっているけど長文になると恐ろしいほど冷静に分析してたりしてて楽しい。
地下アイドル兼ライターの姫乃たまさんの書く文章が好きで、以前のnoteにも書いたのですが、今回も彼女の記事から引用して感じたことを書いていきたいと思います。
「みんなに好かれようと思うから苦しい」と気づいたら、生きるのが楽になった
【私が「ああ、社会に参加しているなあ」と実感できていたのは、学校で集団行動をしていた時と、高校生で地下アイドルになって、よくわからないまま自分に合わない活動をしていた時期でした。
上手くできなくて、辛くて、合わない人がいても建前で付き合っていくのが大人になることだと思っていたのです。】
自分に向いていないことでも我慢して取り組むのが社会に参加することだ、と思っていた姫乃さん。
たしかに我慢して働くのが大人でありそれが当たり前だ、と思ってる人、多くないですか? そうして無理をしてがんばっている人こそが社会(会社)に貢献していると。そうしていればいつか自分も報われて、なにか幸せになれるんじゃないか、認めてもらえるんじゃないか。「今の苦しみが未来の希望につながるんじゃないか」って、そう思わされている。
そんな苦しい思いをしていた彼女の考えを変える出来事が起きました。
自分のコンプレックスを「好き」と言ってくれる方との仕事です。
それによって彼女は【私を好きにならない「みんな」のために無理をするよりも、私を好きでいてくれる人に好きでいてもらえるように生きるほうが幸せ】だと気づきます。
自分が参加したい「社会」とは。自分が好かれたい「みんな」とは。
自分が誰といたいのか、どんな居場所にいたいのか。それを明確にすることで嫌なことを無理やりやる、という思い込みから解き放たれることができます。
私も以前、職場の上司に「ここで逃げたって変わらないぞ、逃げてどうするんだ」って言われてカチンときて「逃げて逃げて逃げ切ります」って言ったことがあります(笑)。
逃げ出すことで後でつらい目にあう、と脅してくる輩には「そのまた嫌なことがあったら逃げるし」戦法で“逃げ”ます。
実際逃げることを選択せずに身も心もボロボロにしてしまう人が山ほどいます。一度そうなったら一生それを背負って生き続けることになります。その責任を誰かがとってくれるわけではありません。その時の相手や過去の自分を恨んでも苦しみはなくなりません。
自分に合った仕事や居場所が他にもあるということ。それをとにかく知ってほしいですね。
最後にリンク先に書かれた姫乃さんの、他者にかけた言葉とその思いを読んでみてください。
こういう言葉をかけられる人になりたいなぁ。
姫乃さんの日記はこちら
初めて読み物で定期購読してる。その価値がある。