アイドル界隈の醜悪な共犯関係。その中にある「キラキラしたもの」
22/7(ななぶんのにじゅうに)というアイドルグループがいまして。
オーデションで決まった声優さんたちが自分のアニメキャラとともに活動していくというグループなのですが、先日ずっとキャラクターの決まっていなかった3人にもようやくアニメキャラができたんです。メンバー全員でそれを喜んだということがニュースにもなっていました。
そのこと自体はとてもめでたいことなのですがその過程がいつもの「大人(運営)の手口」に感じて素直に喜べないんですよね。
乃木坂、欅坂でも「途中から参加するメンバー」と「現メンバー」という構図がありました。あとからくるメンバーの劣等感や焦燥感、気にせず安心させようとし、なんとか受け入れようと振る舞うメンバーたち。それが感動のドラマを生み出して、グループの一体感を強化する。それがあえて周りの大人たち(運営側)があおっているようにしか見えず、とても醜悪な見世物に感じるんです。
いろいろな試練をあえて課していくのは近年のアイドルグループにおいては常套手段になっているし、そういったドラマがあることでファンがより一層応援して盛り上がるだろうと企図してのものなのでしょう。
それが「女の子を吊り橋に渡らせて、真ん中に来たところで周りの大人たちが安全な場所から吊り橋を揺らして怖がらせている、面白がっている」ふうにしか見えないんですよね。それをまたファンが安全な場所から見て面白がる、という。
アイドルたちが真ん中で怖がっていても「本人が望んで渡ったんだから自業自得だろ」ということでこれは悪いことではないんだ、共通理解の上で成り立つエンタメなんだと納得させ、試練という名のいじめに無自覚にさせてるんじゃないかと思うんです。
私もですが、ファンがその醜悪なサイクルに加担しちゃってるんですよね。
わざと窮地をつくりだして、それが彼女たちの結束力を高めるだの個人の成長につながるだのと言い訳をして本人達に負担を課す。そういうことが積み重なってやがて病んで活動を休止したり脱退するメンバーも出てきます。
本人達の成長なりになんなりになるのかもしれませんが、それをあえて作り出す、それを喜ぶもの達はやはり「醜悪だ」という自覚は持つべきだと思うんです。
「自覚したところで彼女たちがどうなるわけでもないだろう、偽善だ」とかそういうことじゃなくて、自分たちのやっていることを改めてよく考えてみよう、という話です。
ミスiDというアイドルコンテストを最近注目しているのですが。
「私の考えるギリギリエロ」なんていうタグをつけさせて本人達に写真をアップさせたり。
セミファイナルで選ばれなかった子達に二日間限定で再度「復活戦」と称して競わせたり(たった1名弱の枠のためにもう一度鞭打って競うのは希望した本人たちも本当にキツかったと思います)。
この仕掛けは見てる方もつらい。でも、やっぱり見てしまうんです。刺激が強ければ強いほど人は覗き見したいと思ってしまう。そんな自分の浅ましさに気づくのもイヤだ。
そんな中でもうまく運営の意図を汲んで「エロを独自に解釈してかわしたり」「強く前向きに復活戦に挑んだり」して、大人たちは逆に彼女たちの強さに助けられた格好となりました。
揺れる吊り橋の真ん中で、それでも本人たちは精一杯の努力と笑顔で立ち向かった。
さらにこのミスiDは実行委員長や審査員が変な人が多い…って言ったらアレですけど(笑)、一緒になって吊り橋を渡って隣に来てふざけちゃう、楽しんじゃうっていう人たちなので、それがまたアイドルたちの救いになっているかな、と。安全な場所で見ているよりは同じように責任をもって、身を呈してその真っ只中に飛び込むっていうのも「今の時代の寄り添い方」なのかなって思います。
もちろん、それでアイドルの恐怖心やしんどさがゼロになるわけではないので、そこでもやはり慎重に、責任と自覚を持って進めていってもらいたいというのが願いです。
なのでそういった運営の中にももちろんしっかりとサポートしたり頼りになる人たちもいるわけだし、ファンだってそういうやり方に「NO」を突きつける人もいます。イヤなら離れていくだけだし、しんどいと思いながらもなんとか応援を続けるのもファンとしての在り方だと思います。
そういう支えてくれる人たちがいるから、本人たちもがんばれるんですよね。
この醜悪な世界、いや人生そのものにおいてもその中でこそ輝くキラキラとしたものが見つかることもあります。
だからこそ生きていけるし、もし見つけられなかったとしても別の場所を探して移動する、という選択肢もあります。それを皆が理解しておくのが大事なんだと思います。
安全を確保しながら、吊り橋をキャッキャして渡るのは楽しいもんです。本人も、支える側も、見る側も楽しめる共犯関係。そんなしあわせな世界の縮図をアイドルの世界では見ることができる。それがこのつらくしんどい人生の、一つの楽しみでもあるんです。